大神神社摂社の若宮社。
大直禰子(オオタタネコ)神社とも称する境内摂社の一つですね。若宮さんの鳥居手前には、縁結びのシンボル・おだまき杉もあり、知る人ぞ知る穴場のお社です。そんな若宮社の石段に、興味深いものを見つけました。
これは盃状穴でしょうか?
丸い盃状に刳り抜かれています。
盃状穴(はいじょうけつ)は、国内においては西日本発祥とされ、時を経るに従い東日本でも見られるようになったそうです。盃状穴を彫る風習は明治期以降には廃れました。江戸時代までの風習として知られ、西日本エリアでは石段や手水石、燈籠などに見られます。
再生・豊穣を象徴する盃状穴!土俗信仰の名残
若宮社の石段窪みを盃状穴と確認したわけではありませんが、妙に気になりますよね。
ここで、江戸から明治への過渡期に想いを馳せます。
かつて大御輪寺(現若宮社)に祀られていた十一面観音は、明治の廃仏毀釈で聖林寺に移されました。法隆寺の国宝・地蔵菩薩立像も、かつては大御輪寺で仰がれていました。
そうなんです、明治期の初めまでは大神神社の若宮さんにはそうそうたる仏像が安置されていたのです。
若宮社の鳥居。
江戸時代までは数多く見られたという盃状穴。
盃状穴はその形状から、女性のシンボル、再生・不滅のシンボルとも言われます。盃状穴には病気平癒や子宝祈願、豊穣の願いも込められたようです。
見れば見るほど、盃状穴。
朝鮮半島では、そのまま「性穴」と表現されるのだとか・・・広く世界にも同じような信仰が伝わり、スウェーデンでは盃状穴にバターを流し込む風習があったようです。夜にバターを流し込んで祈りを捧げ、その年の豊作を祈願します。
二上山遠景。
宝物収蔵庫から少し下った所に、芙蓉の蕾が見られました。
主に西日本で見られる盃状穴は、石段や手水石に彫り込むのが特徴です。ワンランク上の石仏や石塔には盃状穴が見られないようです。信仰の対象に穴をあけるなど、畏れ多くて出来なかったのかもしれません。ところが、東日本へ伝播していくに従い、徐々に仏や塔にも盃状穴が彫られるようになったそうです。
太神宮の石燈籠。
若宮社の社殿は重要文化財に指定されています。
雑社の琴平社。
若宮さんの境内には、もう一つの雑社・御誕生所社も祀られています。
琴平社の前には卵が供えられていました。
琴平社は火難除けの神様として信奉されています。
祭事が迫っているのでしょうか。
折り畳み式の椅子が用意されていました。
琴平社前の池の畔には、三本杉を描いた樽が無造作に置かれています。
記憶を辿れば、明日香村の酒船石遺跡なども盃状穴の一種なのかもしれませんね。
奈良県内を見渡してみても、いくつかの盃状穴を確認することができます。東大寺転害門の石段はつとに有名ですが、その他にも山添村神波多(かみはた)神社の石段、さらには秋篠寺や鴨山口神社などにも見られます。
盃状穴をテーマに散策してみるのも面白そうです。