三陵墓古墳群史跡公園へ行って参りました。
西古墳、東古墳、南古墳の3基を合わせた ”三陵墓” ですが、周囲には小さな古墳も点在しており、それらも含めて三陵墓古墳群を形成しています。写真映えを狙うなら、都祁高原マラソン大会のマスコットキャラクター・つげまろくんが立つ三陵墓西古墳がおすすめです。
つげまろくんと三陵墓西古墳の墳丘。
西古墳は直径40mの円墳です。稲荷神社が祀られている南古墳も円墳で、東古墳だけは帆立貝式古墳(或いは前方後円墳)とされます。築造時期は5世紀で、大和高原最大級の古墳群です。
石の望遠鏡から望む古代都祁王国
大和高原の中心に広がる都祁エリア。
平均標高は約470mで、比較的冷涼な気候に恵まれています。高原野菜やお茶の成育にも適した地域で、縄文時代から人が住み着き、闘鶏(つげ)という名の古代国家が繁栄した場所とされます。辺りには日本の原風景が広がっており、のんびりと散策を楽しむにはオススメです。
西古墳の墳丘上には、円筒埴輪や朝顔形埴輪が並んでいました。
南方に見えるのは都介野岳(つげのだけ)でしょうか。
時空の丘。
西古墳から東古墳へ向かう墳丘麓に、不思議な石板が並んでいました。どうやらこれが「石の望遠鏡」のようです。
時空の丘の案内プレート。
現在と古代を結ぶ、石の望遠鏡をのぞいてみましょう。1,500年前の都祁村のようすや、人々の生活を想い描いてみて下さい。
どんなノスタルジックな像が結ばれるのか、さっそく試してみます。
お~っ、見えますね!
幾重にも重なる円形の向こうに、西古墳のつげまろくんが小さく浮かび上がります。
まるで時計の針が角度を変えながら、新たな時空間を生み出しているかのようです。
つげまろくんの横顔も凛々しい!
三陵墓古墳群史跡公園の入口。
この先に無料駐車場がありますが、駐車場へのアクセスルートはかなり狭いです。車で入るなら、ここより少し西側の進入路から入った方がいいでしょう。目印は都介野郵便局の少し手前です。そこを右折して回り込みます。今回私は、南古墳の手前にあった空地に車を停めました。
三陵墓西古墳の駐車場。
西古墳と東古墳の間にも公衆トイレと駐車場がありましたが、そちらもかなり狭いのでこちらの方がおすすめです。
西古墳の墳丘へ向かいます。
駐車場からすぐに石段が付いていました。
階段の両側には、三角形の石が配されています。
陵でよく見られる「結界」でしょうか。
三陵墓西古墳のつげまろくん。
墳丘の裾野には花が咲き、レジャーシートを敷いて寛げそうな場所が広がっていました。
つげまろくんの背後に控えるのは石のベンチでしょうか。
本当に長閑な場所です。
三陵墓古墳群史跡公園周辺の航空写真。
やはり古墳群の全景は航空写真に限ります。
三陵墓古墳群史跡公園の遥か西方には、高塚遺跡、丸尾遺跡、ゼニヤクボ遺跡が見られます。さらには小治田安萬侶墓の東に川向古墳群と川向遺跡。三陵墓東古墳の南には市場古墳群。国道369号線のすぐ西に観音山古墳群が確認できます。
三陵墓古墳群の位置関係。
写真の下方に、針ICへ通じる国道369号線が通っています。
古代の都祁村が案内されていました。
村内には、高塚遺跡など縄文時代早期以降の遺跡が確認されています。
弥生時代の遺跡には東山遺跡、丸尾遺跡など、代表的なゼニヤクボ遺跡では、竪穴住居跡・方形周溝墓があり、「ムラ」として古墳時代前期まで続いています。大和高原で最大級の古墳である三陵墓西古墳が5世紀前半に、後半には三陵墓東古墳が築造され、『古事記』『日本書紀』にみえる都祁直(つげのあたい)、闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)といった被葬者が想定されます。両古墳の北側、低地部の縁辺から高床式建物の梯子や土師器が出土し、周辺の尾根筋には6世紀ごろの群集墳が多く作られ、「クニ」のあったことを想像することができます。
大化の改新後、「ツゲ国」は郷里制により都介郷と星川郷になります。
奈良時代には、平城京と伊勢を結び、都介野盆地を通過する当時の国道「都介山之道(つげやまのみち)」が開かれます。第7回遣唐使の僧、道慈(どうじ)が隠棲した「竹渓山寺(つげやまでら)」は都介野岳南麓にあったともいわれています。
また、甲岡には薄葬令など当時の埋葬規制によって、従四位下の官位まで進んだ小治田朝臣安萬侶の火葬墓(国史跡)があり、副葬品からは高級官僚であったことを伺わせます。聖武天皇の伊勢行幸の時に、宿泊地となった「堀越頓宮(ほりこしとんぐう)」も友田にあったと考えられています。
小治田安萬侶墓には足を運びましたが、薄葬令の影響で火葬されたのですね。
竹渓山寺(つげやまでら)や堀越頓宮(ほりこしとんぐう)など、新たなキーワードも紹介されています。平城京と伊勢を結ぶ国道がこの辺りを通っていたとは、今まで知る由もありませんでした。
西古墳の墳丘上に出ます。
三陵墓西古墳は都介野岳から伸びる尾根の北端を利用して築かれています。
墳丘の高さは5mです。
直径16mの墳頂平坦面には60個あまりの円筒埴輪が並んでいたと言います。今は90個ほどが復元されています。
朝顔形埴輪も取り混ぜながら、一定のリズムで墳頂の周囲を巡ります。
つげまろくんが小さく見えますね。
緑豊かな墳丘です。
初夏ならではの光景でしょうか。
三陵墓古墳西古墳の案内板。
かなり詳しく解説されていますね。
1段構成で墳頂部と墳丘斜面には葺石が施され・・・
1951年に主体部の調査が行われていますが、1995年の調査によって、割竹形木棺粘土槨の第1主体部のほかに、組合式木棺直葬の第2主体部が新たに見つかりました。平成8年3月22日に東古墳、南古墳とあわせ、三陵墓古墳群として、奈良県史跡に指定されています。
赤色顔料であるベンガラの散布があったことなどが記されています。
三陵墓西古墳の出土遺物。
第1主体部と第2主体部に分けて解説されています。
埋葬施設は既に盗掘を受けていましたが、勾玉・管玉の玉類、剣、刀、鉄鏃などの鉄製武器、さらには琴柱形石製品、竪櫛などが出土しています。
墳頂をぐるっと回っていると、下方にソーラーパネルらしきものを見つけました。
古代と現代が交錯します。
墳頂に登れば、都祁エリアの長閑な風景を楽しむことができます。
ちょっとした眺望スポットですね。
東古墳の墳丘にも登れましたが、西古墳の方が広い印象です。
つげまろくんも居ることだし、観光的には西古墳の方がおすすめでしょうか。
長大な割竹形木棺を持つ粘土槨。
その跡が示されているのでしょう。
東古墳よりも先に築造された西古墳。
西古墳、東古墳、南古墳共々、奈良県史跡に指定されています。
麓には初夏の花が咲いていました。
自然豊かな古代にも、数多くの花々が周囲を彩っていたことでしょう。
これはもう、草原ですね。
周濠こそ見られませんが、その分憩いの場所が広がります。
県内には馬見丘陵公園をはじめ、公園整備される古墳が増えてきました。
取っ付きにくかった古墳にも親しみを覚えますね。
奈良市都祁南之庄町にある三陵墓古墳群史跡公園。
車でアクセスするなら、名阪国道針ICから国道369号線を経由して5分です。国道369号線の「白石」交差点を西へ入りましょう。公共交通機関をご利用の方は、近鉄榛原駅からバス「南之庄東口」を下車して徒歩2分です。