太安万侶墓と並んで歴史的価値の高いお墓。
奈良市都祁甲岡町にある小治田安萬侶墓(おはりだのやすまろのはか)を訪れました。
奈良時代の火葬墓で、文武、元明、元正、聖武天皇に仕えた役人のお墓とされます。表面に鍍金を施した鋳銅製の墓誌が見つかっており、同地からは奈良三彩の小壺片、鉄製品、須恵器、土師器、さらには和同開珎銀銭10枚も出土しています。
小治田安萬侶墓と紫陽花。
梅雨を彩るアジサイが墓前に咲いていました。
甲岡池の横を通って国史跡へアクセス
小治田安萬侶墓は国の史跡に指定されています。
明治45年(1912)に茶畑を植え替える際、被葬者名を記した墓誌が発見されたそうです。その後、昭和26年(1951)に発掘調査が行われています。
小治田安萬侶墓の道案内。
民家手前に立つ道標に従えば、ここを左へ上がって行くようです。
墓の下手にも綺麗な紫陽花が咲いていました。
緩やかに続くアクセスルートの先へ目をやると、かすかに墓標のようなものが見えています。
この日、私は三陵墓古墳群史跡公園の見学に訪れました。古墳見学を終え、そこから西へ向かって目的地を目指します。
道中の地図。
このマップを見ると、甲岡池の東側を北へ向かえば安萬侶墓に辿り着くようです。
三陵墓古墳群史跡公園から西へてくてく歩いて行くと、奈良交通バスの停留所がありました。
「都祁南之庄」と書かれていますね。奈良市都祁南之庄町は、三陵墓西・東古墳の住所でもあります。
都祁村の案内表示。
奈良市に合併され、都祁村という自治体は今はもうないようですが、こうして観光用の案内表示には残っていました。
右へ折れて、甲岡池の畔を北に向かいます。
車が行き交うこともない、実に静かな田園地帯です。
池の端辺りに来ると、再び道案内が出ていました。
安萬侶墓の後に訪れた多田来迎寺も案内されています。このポイントからだと、およそ400mの距離ですね。
先ほどの「←左へ」の道案内から、丘陵斜面の安萬侶墓へ向かいます。
おそらくご近所の方々も、頻繁に通る道ではないでしょう。
ありました、ありました。
目指す小治田安萬侶墓です。民家の裏手に位置していました。
墓標と石板。
その向こうに階段が付いており、上手のこんもり盛り上がった部分がお墓のようです。
ひっそりした場所に国の史跡がありました。
今回は行きそびれてしまいましたが、都祁水分神社はおそらくこの左手奥の方に鎮座しているのでしょう。
さらに階段を上がって墓前に出ます。
二つの石柱の間に、ほんの少し盛り上がった部分が確認できますね。
かつて飛鳥の小墾田に住んでいたことから、小治田臣と呼ばれていたようです。
天武朝に朝臣の姓を賜ったとされます。
発見された墓誌には、安萬侶の居住地「右京三条二坊」が見られ、現在の奈良市西大寺の南から尼ヶ辻付近であったと思われます。
珍しい奈良時代の火葬墓。
山深い都祁の里に来れば、遥かな歴史に触れることができます。