芸能、財宝の神と仰がれる弁天様。
鴨川と高野川が合流する三角州の近くに、いかにも音楽に関係していそうな妙音弁財天という神様が祀られています。”妙なる音”で妙音、元来弁天は琵琶を奏でる女神でした。妙音弁財天の御本尊は、琵琶の家元・伏見宮家の守り神として今に伝わります。
妙音弁財天の石鳥居。
所在地は京都市上京区青龍町で、出町枡形商店街のすぐ近くです。豆餅で有名な出町ふたばからも目と鼻の先です。
青龍町という地名も、京都御所の東に位置していることに因んでいます。四神相応における東の青龍ですね。下鴨神社にも程近く、神社帰りの参拝客も数多く見られました。
京洛七福神に名を連ねる出町妙音堂!弁財天の使いを表す蛇の絵馬
京都市内に祀られる七福神。
七福神めぐりの一つ、弁財天を祀るのが妙音弁財天とされます。
弁天さんといえば水をイメージしますよね。池に浮かぶ小島に祀られているのをよく目にしますが、妙音弁財天もそのすぐ傍を鴨川が流れています。
妙音弁財天の妙音堂。
この場所は相国寺の塔頭・大光明寺の飛地境内に当たるようです。
出町橋西詰には石鳥居が建っていますが、塔頭寺院の飛び地ということで”お寺”であることが分かります。御本尊は青龍妙音弁財天画像で、妙音堂奥の六角堂に安置されています。
出町妙音堂の案内板。
本殿の本尊は青龍妙音弁財天画像で、西園寺公衡(1264~1315)の長女西園寺寧子(大光明院殿・広儀門院)が、第93代後伏見天皇の女后に輿入れされた折に、西園寺家第二伝の念持仏として持参されて以来、伏見離宮に祀られ、光厳、光明、崇光天皇と伝承されて来た霊像である。
その後享保年間、伏見宮家第14代貞建(さだたけ)親王に至って伏見邸が河原町今出川下がる出町北鴨口に移転され、同時に本尊も奉遷されたのであるが、更に明治初年東京へ遷座の後、京洛の旧信徒再三の請願に依って、再び現在の地に堂宇を建て奉安せられた。
世に伏見御所の弁財天と称され、京都七福神の一つとして特に技芸上達、福徳円満の勝益をもたらすものである。
妙音弁財天の提灯。
お堂の前に、天皇家ゆかりの十六菊花紋をあしらった提灯が並んでいました。
妙音堂の背後に回り込みます。
蛇の瓦が掲げられていますね。
お堂の後ろに六角堂がありました。
鎌倉時代の絹本着色「青龍妙音弁財天画像」を安置します。
空海の筆による本尊とされ、厨子内には御前立として50cmの弁財天が祀られています。
蛇の絵馬がずらりと並んでいます。
それもそのはず、弁天様の使いは白蛇なんだそうです。
妙音堂の御前には、フウセントウワタが活けられていました。
未来永劫の繁栄を願う松と共に、お正月らしい風景ですね。
京洛七福神は妙音弁財天の他にも、ゑびす神社の恵比寿神、松ヶ崎大黒天、清荒神の福禄寿、円山長楽寺の布袋尊、行願寺革堂の寿老神、山科毘沙門堂の毘沙門天が名を連ねています。おめでたい新年に、七福神巡りをするのもいいですね。