大神神社の衣掛杉。
初夏の清々しい日差しの下、大神神社の境内を散策してみます。
手水舎から拝殿へ上がる石段の手前。そこを右へ曲がると、覆い屋根の下に御神木が鎮まります。私が幼少の頃からずっとこの場所にある御神木です。
衣掛杉(ころもがけのすぎ)。
大神神社参拝の際には、つい見落としてしまいそうな場所にひっそりと佇みます。
三輪の神か!?玄賓僧都に衣を求めた美女
衣掛けの杉と言うからには、杉の木に衣が掛けられた逸話が残されています。
その衣の持ち主は山の辺の道のルート上にある玄賓庵の玄賓僧都です。
大神神社のお参りついでに、徒歩10分ほどの玄賓庵を訪れてみるのもいいですね。衣掛杉の昔話がより身近に感じられます。
さて、玄賓僧都の衣が掛かっていたのはなぜなのでしょうか?
衣掛杉の前にはささゆりが植樹されていました。
ささゆりの開花はやはり6月以降になりそうです。
三輪山の麓に庵を結ぶ以前は、興福寺に居たと伝えられる玄賓僧都。
現世の欲望を捨てて、三輪の地に住まうことになった玄賓僧都。そこへ樒(しきみ)と閼伽水を求めて美女が通って来たと言います。秋も深まる頃に訪れた美女は、寒さをしのぐための衣を玄賓僧都に求めました。求めに応じて衣を差し出したわけですが、気になって後を追ってみると冒頭の杉の木に自身の衣が掛かっていたというお話です。
そう、その正体は三輪の神様であったと伝えられます。
大礼記念館の入口近くに綺麗なシャガが開花しています。
謡曲「三輪」に由来するお話として語り継がれているわけですが、どこか三輪山伝説と似たストーリーですね。どちらも後を追ってみれば、三輪の神様に行き着くという筋書きです。
衣掛杉に近寄ってみます。
中は空洞なんですね。湿気の感じられる場所だけに、衣掛杉には苔が生えています。独特のうねりが歴史の躍動感を感じさせます。
衣掛杉は安政4年に落雷に遭い、今はもう枯れてしまっている御神木です。幹周りが10mと言いますから、巨木であったことがうかがえます。この古株は三輪の七本杉の一つに数えられます。
おだまき杉や志るしの杉は有名ですが、この他にも二本杉、門杉、燈明杉、飯杉などの御神木が今に伝えられています。
衣掛杉からも程近い場所に、大神神社の銀竜草が見られます。
桜や牡丹などの華やかな花とは一線を画する珍しい植物です。
三輪明神の神詠として古今和歌集に伝わる歌があります。
「我庵(わがいほ)は 三輪の山本 恋しくば とぶらいきませ 杉立てる門」 この歌の中の ”とぶらふ” とは、古語で「訪(とぶら)ふ」を意味します。訪ねて来て下さいといったニュアンスになりますね。
三輪山伝説では、三輪の神は男性として登場しますが、謡曲「三輪」では女性として登場しています。
共通しているのは、男女が物語に描かれていることでしょうか。衣掛杉は何を物語るのか?縁結びの神様として結婚式会場としても注目を集めている大神神社。その一端を垣間見るような気もします。
つつじの花が満開を迎えています。
蜜蜂がごそごそと花の中に潜り込み、季節の躍動感を参拝客に披露しています。この時期ならではの清々しさを感じますね。
三輪の神は雷神か、はたまた太陽神なのか。
蛇に姿を変えたり、美女になって出現したりとその伝説は多岐に渡ります。そのどれもが真実で、遥か彼方で一つに結び付いているのかもしれません。