第十二代景行天皇の皇子であった日本武尊(やまとたけるのみこと)。
父の命令で九州、関東の征伐に向かい、大和へ帰る途中で力尽きた悲運のヒーローとして知られます。そのヤマトタケルノミコトの御陵が御所市にあると聞き、出向いてみることに致しました。
日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみこと しらとりりょう)。
望郷の念を抱きつつ、日本統一の戦いに生きた日本武尊。その魂は白鳥へと姿を変えて、ここ御所の地に舞い降りたと伝えられます。
日本武尊白鳥陵へのアクセス方法
日本武尊白鳥陵はちょっと分かりにくい場所にあります。
JR玉手駅からだと、南へ徒歩20分ほどの距離にあります。京奈和道御所インターチェンジから玉手駅の横を通り、奈良県道212号線を南下して冨田の交差点まで出ます。
冨田交差点近くにあった道路案内図。
左手に日本武尊琴弾原白鳥陵があるようです。
事前の下調べで、日本武尊白鳥陵には駐車場が無いことが分かっていました。さて、どうしたものかと、とりあえずは冨田の交差点にあったコンビニのファミリーマートに立ち寄ってみることに致しました。
アイスコーヒーでも飲みながら、ファミマで一服します。
ところで、この冨田という地名は好字地名なんだそうです。
国見山西麓、大口峠北方に位置する冨田の「トミ」は「十三(つつみ)」のことを意味しています。富田池の堤に由来する地名なのでしょうか。十三田(とみた)となるところが、縁起のいい漢字を使用して冨田となった。大阪の淀川近くの十三(じゅうそう)の地名由来にも、堤説が唱えられています。十三とは淀川の堤防のことで、十三(つつみ)と呼ばれていたそうです。
ファミリーマート御所冨田店の駐車場。
最終チェックのために、ファミマの店員さんに日本武尊白鳥陵への行き方を伺います。駐車場のことをお聞きしたら、やはり駐車場は無いとのことでした。ほぼ誘導尋問のような流れになりましたが(笑)、コンビニの駐車場に車を停めて日本武尊白鳥陵へ行ってもいいという許可を頂きました。
日本武尊白鳥陵の道案内。
田圃の角に道案内の札が立っていました。左が日本武尊白鳥陵、右手の緩やかな坂道を上がって行けば、一段高い所に溜池のようなものが見えます。
日本武尊白鳥陵へ向かって歩いて行くと、秋津防犯協会の看板が見えて参ります。
左に曲がってさらに歩を進めると、目的地の日本武尊白鳥陵へと辿り着きます。
最終コーナーと思しき場所に、数名の観光客を乗せたタクシーがやって来ました。どうやら私と同じように、ヤマトタケルの御陵を見学に来られたようです。
民家の間に入り、道は狭くなっていきます。
また案内板が出ていますね。ここを左折するようです。
日本武尊白鳥陵の道案内。
いよいよ近づいて参りました。
この階段を登って行きます。
階段の脇には色とりどりの紫陽花や、鮮やかな黄色の美容柳が咲いていました。
先ほどのタクシーに乗車なさっていた観光客の姿が見えます。
コンビニからの所要時間は徒歩10分弱といったところでしょうか。そんなに遠くもありませんでしたので、冨田の交差点のコンビニに車を停めて正解でした。
日本武尊白鳥陵。
大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる 大和しうるはし
伊吹山で気を失い、玉倉部(たまくらべ)の泉で意識を取り戻したヤマトタケル。三重の桑名を過ぎ、亀山の能煩野(のぼの)に着き、故郷の大和を想って歌った歌はあまりにも有名です。
ヤマトタケルの最期
日本武尊白鳥陵の案内板に、「伊吹山の神」と記されています。
伊吹の山は岐阜県と滋賀県の県境にある山です。
美夜受比売(みやずひめ)と結婚したヤマトタケルは、伊吹の山の神を討ちに出かけます。「こんな山の神など、素手でやっつけてやる」と意気込んだヤマトタケルは、ミヤズヒメの元に草薙の剣を置いて出かけてしまいます。
ヤマトタケルが伊吹山の麓まで来た時、牛ほどのサイズの白い猪に出会いました。
「お前は伊吹山の神の使いであろう。帰りに殺してやるから待っていろ」と、言挙げして山に登って行きました。実は、この白い猪こそが、伊吹山の神の本体だったのです。見くびられた白い猪の呪いだったのでしょうか、激しい雹(ひょう)がヤマトタケルを打ちのめします。寒さと衝撃で、ヤマトタケルの意識は混濁していきました。
日本武尊白鳥陵の手前に休憩用のベンチが置かれていました。
白鳥となって天翔けるヤマトタケルの魂が、この地に舞い降りたと伝えられます。
見頃を迎えた紫陽花と日本武尊白鳥陵。
美しい容姿で知られるヤマトタケル。美男子の外見からは想像もできないほどの凶暴な戦闘能力を併せ持っていました。
父の景行天皇はヤマトタケルを頼もしいと思うと同時に、恐れにも似た感情を抱いていたと言われます。ヤマトタケルを日本統一の戦いに向かわせたのも、そのためであったと伝えられます。
日本武尊。名前からして猛々しさが伝わって参りますが、その心の中には常に寂しさが付きまとっていたのではないでしょうか。