重源上人開基の称念寺!無縁塔と芭蕉句碑

東大寺再興に功のあった重源上人。

大仏殿の東側に重源上人を祀る俊乗堂がありますが、その重源を開基とするお寺を奈良町南方で見つけました。JR京終駅から徒歩数分の東木辻町に位置しています。

松尾芭蕉句碑と称念寺本堂

松尾芭蕉句碑と称念寺本堂。

芭蕉の句碑には「菊の香や奈良には古き仏たち」と刻みます。

元禄7年に芭蕉が称念寺で休憩した際、この俳句を詠んだようです。芭蕉百回忌に建立されて以来、現在に至ります。

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傾城の名残り!木辻遊郭の引導寺

JR京終駅を降り立ち、飛鳥神社で手を合わせた後、北京終町から瓦堂町を経て称念寺のある東木辻町へと入ります。

木辻(きつじ)はかつての遊郭があった場所です。『平城坊目考』によると、称念寺路傍の一大樹に因んで ”木辻” と称したようです。井原西鶴の好色一代男にも、木辻町や鳴川の地名が見られます。

称念寺山門

一心山称念寺の山門。

山門向こうに見えている建物が江戸時代の本堂です。

木辻遊郭の域内にあった称念寺は、遊女が亡くなった際にはその引導寺となり、往生回向を施してきました。本堂右手前に高く積み上げられた無縁塔の中には、身寄りのない遊女を供養するものもあるでしょう。

称念寺由緒

称念寺の由緒。

この寺は、元は築地之内町(ここから東に200m程)にあった草庵が始まりと伝えられています。16世紀末に、頓誉上人によって再興され浄土宗の寺となりました。

本堂は棟木の墨書から建立年代や大工名がわかります。内部は、手前を外陣、奥中央を内陣、内陣両脇を脇陣とする浄土宗本堂の典型的な形式をとっています。

奈良町における江戸時代初期の浄土宗本堂の好例で、建築年代・大工名が明らかなものとして貴重です。奈良町の伝統的な景観にも大きな役割を果たしています。

橿原市今井町にも、同じ名前の ”称念寺” がありますが、奈良市の称念寺も歴史ある寺院です。

称念寺本堂

称念寺本堂。

本堂は寛永6年(1629)の建立です。

ご本尊は阿弥陀如来で、善導大師立像や法然上人坐像なども祀られているようです。

奈良町エリアには町名の由来を記す案内板が掲げられています。JR京終駅から北へ向かう途中にも、瓦堂町の歴史が記されていました。

瓦堂町由来

瓦堂町の由来。

宝徳年間(1449~52)ここに瓦葺きの一堂があって、これを瓦堂といった。

町名はそこからきたと言われているが、一説に称念寺の領内に瓦葺きの小堂があって、これを瓦堂と称したともいう。 奈良町座

木辻町の南に位置する瓦堂町の由緒書きです。見落としただけなのかもしれませんが、周辺に木辻の地名由来は見当たりませんでした。

一心山称念寺

称念寺の山号は一心山です。

宗派は浄土宗で、俊乗坊重源上人を開基とします。称念寺の由緒書にもあった頓誉上人は中興の祖に当たります。

称念寺無縁塔

称念寺の無縁塔。

多くの墓石が積み上がります。てっぺんの石碑は六字名号碑のようです。板碑形の石碑で、慶長19年(1614)10月に建立されています。六字名号碑には、第2代玄蓮社誠誉上人の名を記します。

ピラミッド型の無縁塔・・・その頂上に「南無阿弥陀仏」を刻み、歴史を背負って阿弥陀仏に帰依する姿が浮かび上がります。

称念寺愛染堂

称念寺愛染堂。

二体の仁王像らしき仏像が睨みを利かせています。

称念寺愛染堂

筋骨隆々としたお姿ですね。

まだ新しいお堂のようですが、堂内には愛染明王や厨子入歓喜天、不動明王を祀ります。

称念寺の寺紋

称念寺の寺紋でしょうか。

それにしても、とても静かな境内です。少し北へ行けば、中将姫ゆかりの徳融寺や誕生寺がありますが、ここまで足を運ぶ観光客も少ないのでしょう。

称念寺の地蔵石仏

本堂脇には卒塔婆や地蔵石仏が並びます。

右手に錫杖を携えるお姿は、典型的な地蔵スタイルですね。

称念寺六字名号碑

無縁塔の正面に回り込みます。

納骨堂の扉が固く閉ざされていました。

現在の東木辻町、鳴川町、瓦堂町一帯に広がっていたという木辻遊郭。

遊郭といえば吉原が有名ですが、江戸に新吉原を開くに当たり、木辻から遊女を移したとも伝えられます。木辻遊女は当時から知られた存在で、『色道大鏡』には ”南都の傾城町は木辻鳴川といひて縦横にあり” と記されています。

奈良市内の木辻に対し、橿原市の小綱村も傾城町として名を馳せていました。小綱は伊勢街道の要所として栄えた場所です。現在、小綱町には蘇我入鹿を祀る入鹿神社が祀られています。