元興寺境内には鬼が居ます。
鬼の置物が計5体、ひっそりとその姿を留めています。2010年の遷都祭の頃には目にすることのなかった置物です。元興寺の鬼探し!参詣の際には一つの楽しみになっています。
小子坊の裏庭にいた鬼。
悩ましい格好が印象に残ります。鬼ともあろうものが、なぜこのように女性っぽい姿態なのでしょうか(笑)
元興寺の節分&元興神(ガゴゼ)
元興寺節分会では、境内に「福は内、鬼は内」の声が飛び交います。
「鬼は外」ではないのですね。
恐ろしい鬼をも内包し、大切にしていこうとする姿勢がうかがえます。鬼の子孫である五つの家系が伝わる天川村でも、同じように「鬼は内」なんだそうです。尊崇するご先祖様をお迎えするに当たり、「鬼は外」では話にならないということでしょうか。
仏足石の横にも鬼が居ました。
桔梗が開花する浮図田の手前に、両肘をついた鬼がこちらを向いています。
様々な態勢の鬼が境内に散らばっているようですね。
この立ち位置からでも、わずかに鬼を確認することができます。
隠れるようにして居ますから、よく注意して探す必要がありますね。
境内のみならず、元興寺の外にも鬼の痕跡を見ることができます。ならまちを歩いていると、不審ヶ辻子(ふしんがづし)町という場所に行き当たります。地名の由来を辿れば、元興寺の僧侶に追いやられた鬼が姿をくらました場所と伝わります。逃げた鬼がその身を隠した場所は、鬼隠山(きおんざん)と呼ばれています。鬼隠山は現在の奈良ホテル周辺に当たるそうです。
元興寺は桔梗の名所です。
奈良に伝わる昔話に登場する元興寺の鬼・・・。
どんな説話だったかと申しますと、ある日元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出たそうです。それを入寺した雷の申し子である大力の童子が退治しました。雷に童子とくれば、春日大社の磐座を思い出しますね。奈良の社寺には何かこう、見には見えない繋がりのようなものを感じます。
その後、邪悪な鬼を退治するという雷を神格化し、八雷神(やおいかづちのかみ)、元興神(がごぜ)と称するようになったということです。
元興寺小子坊の裏庭で仰向く鬼
元興寺境内には小子坊という建物があります。
北厨房、あるいは台所とも称されていた建物です。国宝の極楽堂や禅室に比べれば、訪れる人も少ない場所に佇みます。でも、そういうエリアであればこそ、探し物は見つかるというものです(笑)
極楽院旧庫裏の小子房。
鄙びた雰囲気の建物です。
建築物としての価値はお墨付きで、県指定文化財の一つでもあります。
県指定 小子房(極楽院旧庫裏)
奈良時代の東室南階大坊には北側に梁間の狭い小子坊が附属していた。僧坊が中世書院化すると、小子坊は北の厨房となった。寛文3年(1663)現在の形に改修され台所と呼ばれ、極楽院庫裏として機能した。昭和40年に境内整備にともなって現在地に移築されたが、今なお古材を伝えている。西側に附属する茶室(泰楽軒)は平成6年大和の名匠川崎幽玄(修)の指物技術の粋を集めた作品として増築された。
その裏庭に回ってみると・・・
縁側の上に元興寺の絵馬が吊るされていました。
ありました、ありました!
思わず立ち止まって、この目を疑います。これが鬼!?
石の上で、「いや~ん」とでも言わんばかりに姿態をさらけます。
頭上には角が二本生えており、間違いなく元興寺の鬼の一体だと思われます。
小子坊の中。
四角い座布団が畳の上に並べられていました。
小子坊北向土間不動尊。
毎月28日には祈祷護摩が行われているようです。
小子坊土間に於いて執り行われる不動尊護摩供養ですが、催行時間は28日の14時~15時と決められています。タイミングが合えば、一度参加してみたいですね。
歴史を感じさせますね。
取っ手の横のデザインが心憎いばかりです。
さらに小子坊を出て、西隣りの茶室の方へと向かいます。
鐘楼跡礎石(つり鐘堂の基礎石)
1981(昭和56年)6月8日中新屋町29野崎充亮氏宅の改修工事の折、2個の花崗岩礎石が発掘された。これがその一つである。長1.5m、幅1.2m、厚0.7m、上面中央に径25cm造り出しを持つ。元興寺旧伽藍の中心線上鐘楼跡(宝徳3年・1451年の土一揆により消失)と推定される位置に近い処から出土。
元興寺の鐘楼があった場所のようです。
その礎石が残っていたとは、今まで知る由もありませんでした。
余談になりますが、新薬師寺の釣鐘には引っ掻き傷のようなものがあるそうです。今でも元興神の爪跡ではないかと言われ、その行動範囲の広さをうかがわせます。
釣鐘堂の基礎石。
表面が少し窪んでいるのでしょうか。
今の奈良町(ならまち)エリアは元興寺の境内だったと言います。
かつての元興寺はかなり広い寺域を誇っていたのです。さすがは世界遺産ですね。
本堂(極楽坊)と禅室を望みます。
元興寺のトレードマークである行基瓦も遠目に確認できますね。決して難しい製法ではなかったにも関わらず、普及することなく終わった行基瓦。よく言われることですが、かつての日本人の好みには合わなかったのでしょうか。丸い形でなかなかイイと思うのですが(笑)
境内に散らばる鬼の置物ですが、残りの3体はまたの機会に取っておこうと思います。