豊臣秀吉が洛中洛外を再構築した御土居。
大徳寺近くの交番で御土居のある場所をお伺いしたところ、大宮交通公園の中にも残されているという情報をキャッチ致しました。ちょうど牛若丸の産湯の井戸を見学したかったこともあり、少々遠いのも覚悟で歩いてアクセスすることになりました。
大宮交通公園の足踏みゴーカートと御土居の跡。
ミスマッチな光景がまたいいですね(笑)
総延長23㎞にも及ぶ秀吉の御土居
御土居(おどい)とは土を積み上げて造った堤のことで、豊臣秀吉が京都の中心地を囲む目的で行ったその土木工事はあまりにも有名です。秀吉の天下統一の翌年に当たる天正19年(1591)に着工された御土居の構築工事は、およそ5か月間で完成を見ることになります。
京都市バスの牛若バス停。
ここからさらに北へ行けば、左手に大宮交通公園が見えて参ります。
ここへ来るまでに随分色々な人に道を尋ねることになりました。牛若丸の産湯の井戸がある場所なんですが、地元の人の間でもあまり知られていないようです。その中から得た有力情報を元に、大徳寺から北へ向かって進み、北山通へ出たら今度は西へ向かって進みます。
しばらくすると、コンビニのある紫竹栗栖(しちくくりす)という交差点に行き着きます。そこを左に曲がって一つ目の角を右へ取ると、右手に広がる畑の中に牛若丸の産湯の井戸がありました。
牛若丸産湯の井戸。
まさかこんな所に、と思わせるほどの観光地化されていない場所です。
牛若丸産湯の井戸からさらに北へ進んで、御土居のある大宮交通公園へと辿り着きます。
以前に北野天満宮の境内で御土居跡を見学したことがあったのですが、その時以来ということで期待が高まります。
園内に入ると、子供たちの声が賑やかに聞こえて参りました。
右へ行けば二人乗りゴーカート、左へ行けば足踏みゴーカートがあるようです。
足踏みゴーカートの置いてある場所の近くに御土居がありました。
フェンスに囲われ、御土居前には案内板が立っています。
御土居の案内板。
大宮交通公園の御土居は史跡指定を受けていませんが、見事に秀吉の時代の歴史遺産を今に蘇らせています。
現代の遊具と御土居が重なります。
大宮交通公園に遊びに来る人のほとんどが、この歴史的遺構を見逃しているのではないでしょうか。京都観光を楽しむ旅行客の人気スポットといえば、祇園や清水寺を中心とする東山エリアや紅葉スポットの嵐山エリアを思い浮かべます。洛北の地の、しかも子供が遊ぶ場所に御土居が残されているとは意外な発見でした。
御土居の範囲
御土居の範囲は広きに渡ります。
上賀茂神社近くの御園橋付近から賀茂川の内側に沿って南下し、今出川通辺りでさらに鴨川に沿って南下します。京都駅付近で西へ向かい、堀川通で南下し、九条通を西へ向かって東寺の辺りで北へ向かいます。JR山陰本線の丹波口駅の西を北上し、西大路通の東側を北へ向かいます。さらに紙屋川の東沿いを北上し、御園橋付近へと戻って行きます。
立ち入り禁止の札が掛けられていました。
貴重な歴史資産を前に緊張感が漂います。
御土居の周囲をぐるりと回ります。
大宮交通公園のスタッフの方から、ぐるりと回り込んだ裏手に祠があると聞いていたので、その場所を目指します。
ありました、ありました。
朱色の鳥居の向こうに祠が見えています。
御土居が築かれた目的は何だったのでしょうか?
敵の攻撃から京都を守る軍事的な役割を果たしていたのでしょうか。あるいは、鴨川の洪水から京都の町を守るという防災的な役割を担っていたのでしょうか。いずれにしても御土居を築くという大胆な発想に、豊臣秀吉の類まれなる行動力を感じます。
秀吉を祀る豊国神社の下手に耳塚を見学したことがあります。
負の遺産とも言える耳塚ですが、秀吉の奔放なエネルギーを感じたことを思い出します。
フェンスに守られた御土居。
1591年の昔からずっと今に残されている御土居。さすがに京都は奥が深いですね。