熊野の神様が宿ると言われる梛(なぎ)の木。
哲学の道の起点・熊野若王子神社の鳥居右手前に、御神木と仰がれる梛の木が生えています。
熊野若王子神社の梛の木。
困難を「なぎ倒す」や、平穏無事な「凪」にも通じ、その縁起の良さが担がれる梛(なぎ)。常緑高木の梛はマキ科マキ属に分類される針葉樹です。当館の中庭にもマキの木が植えられていますが、隣家との垣根にはちょうど良い高さにまで成長します。
若王子神社は京都三熊野の一つ
熊野若王子神社は熊野信仰に基づく京都三熊野の一つに数えられます。
京都三熊野とは、熊野神社、新熊野神社、熊野若王子神社の三社を指します。後白河上皇お手植えの大樟で知られる新熊野(いまくまの)神社にも参拝しましたが、京都にありながら紀伊半島の空気を感じさせる厳かな空間が広がっていました。三熊野の一つ、熊野神社は平安神宮の北西方向に鎮座しており、ちょうど東大路通と丸太町通が交差する場所に当たります。
熊野若王子神社。
向こうに見える注連縄の張られた木が梛の木です。
京都三熊野が誕生したいきさつには、京都と熊野の距離の遠さが深く関係しています。
平安時代に流行した熊野詣。
都人が紀伊半島南部にある熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の熊野三山を参拝するには、大変な労苦を強いられました。そこで、その対策に乗り出したのが後白河上皇でした。熊野の神を京に勧請するよう、かの平清盛に命じたと伝えられます。遠く熊野から、土や木材などを調達して造営したのがその起源とされます。
鹿ケ谷通から東へ入るポイントに、熊野若王子神社を案内する道標が立っていました。
同志社大学創立者の新島襄のお墓も、この上手にあるようです。英語案内も出ていますね。Yae and Joseph Hardy Neesima Gravesite とガイドされています。
東へ取ってしばらく進むと、銀閣寺へと通じる哲学の道へ出ます。
熊野若王子神社の手前、疎水分流に架かる橋の袂に「京都十六社朱印めぐり」の幟が出ていました。2月15日まで朱印初穂料300円とのことです。
石段の向こうに熊野若王子神社の鳥居が見えて参りました。
右に見えるのが梛の木ですね。
熊野詣の際に、参詣者たちは先達から梛の葉を手渡されたと言います。梛の葉は金剛童子(仏教徒の守護神で、阿弥陀如来の化身)の変化身と考えられており、熊野詣の参詣者は帰路の安全を願い、梛の葉を護符として袖や笠などに付けたと伝えられます。梛の葉は大切な御守りだったのですね。
梛は別名を力柴(ちからしば)とも言います。
その名の通り、とても強い葉っぱとして知られます。葉には多数の平行脈があって、強靭で光沢があります。横には簡単に裂くことのできない梛の葉は、男女の仲にも応用され、女性が鏡の裏に忍ばせて縁結びのお守りとしました。また、梛の葉は竹の葉を広くしたような形をしており「竹柏(なぎ)」と表記することもあります。
熊野若王子神社の絵馬。
シンボルのやたがらすが描かれています。
熊野と言えばヤタガラス、ヤタガラスと言えば熊野ですね。「京洛東那智」と記されています。ヤタガラスが咥えているのは、おそらく梛の葉ではないでしょうか。禊の木がこんなところにもデザインされています(笑)
熊野若王子神社の拝殿。
明治の頃には、境内に本宮・新宮・那智・若宮などが鎮座していました。その後、度重なる荒廃を経て、現在は一社相殿になっています。
拝殿の左横には恵比須殿があり、中には木造恵比須像が安置されています。