哲学の道を銀閣寺目指して歩いている途中、法然院という静かなお寺を見つけました。
文人の谷崎潤一郎のお墓もあるという、由緒正しい名刹です。法然院という名前からも分かりますが、浄土宗の開祖法然上人ゆかりのお寺として知られます。
法然院に佇む聞思得修信の庭。
歴史あるお寺の境内に、現代アートの風が吹き込んだかのような空間がありました。陶芸家の中野亘氏が、法然800回忌を記念して奉納した庭です。算盤の玉のようなものが12個上積みされています。12時間、十二箇月、十二支などにも見られる、おなじみの数字が意識されているのでしょうか。
拝観時期限定の法然院
法然院本堂の拝観は、毎年4月1日~7日と11月1日~7日に限られています。
特別拝観の拝観料は春が500円で、秋が800円となっています。
生憎訪れたのは1月初旬だったため、本堂内の拝観をすることはできませんでした。その代わりに、静寂に包まれた境内を存分に楽しませて頂きました。
法然院山門。
法然院を象徴する建造物と言ってもいいのではないでしょうか。
茅葺数寄屋造りの山門が参拝客を出迎えてくれます。
山門をくぐると、雪を被った白砂壇(びゃくさだん)がありました。
祇園東山方面から哲学の道へ向かう途中に、紅葉の名所で知られる永観堂がありますが、あそこの盛砂もなかなか見応えがあります。今回の法然院参拝では、残念ながら白砂壇も雪に埋もれてしまっていて、その表面に描かれる紋様を見ることが出来ませんでした。
法然院は五色の散椿をはじめとする椿の名所でもあります。次回は是非、椿のシーズンに訪れてみたいと思います。
法然院の社号標。
哲学の道と並行する山手の道沿いに、法然院の社号標が見えてきました。
緩やかな石段を上って行くと、黒塗りのシックな門が出迎えてくれます。
この門を入ると、左手に山門へと続く参道が続きます。参道の右手後方には、お墓らしき領域が広がっていました。
法然院の参道。
向こう正面に見えているのが山門です。
山門前の石灯籠に「獅子谷」の文字が刻まれます。
法然院のある鹿ケ谷を表しているものと思われますが、昔は獅子谷と表記していたのでしょうか。
すっかり雪に埋もれる白砂壇。
お寺の白砂壇は、神社における手水舎の役割を担っていると言います。
参拝の前に心身を清める場所。左右二つに分かれる白砂壇の間を通って、法然院の境内へと入って行きます。今では見る由もありませんが、白砂壇の表面には普段は桜の花びらや水の流れが表されているそうです。
山門から左手奥に石塔が建っていました。
この石塔の背後に、冒頭の聞思得修信の庭があります。
奇抜なデザインで見る人を魅了します。
じっと見つめていると、小野小町ゆかりの随心院の文塚が頭の中でダブります(笑)小町が恋文を埋めたという文塚ですが、球形の意匠が連なっているという点では共通しています。
英語で分かりやすく、庭のコンセプトが案内されています。
聞(Listen)思(Think)得(Accept)修(Practice)信(Believe)とそれぞれに英単語が付されます。なるほど、そうだよなと納得できる意味合いではないでしょうか。まずは耳から、そして様々なプロセスを経て信仰へと高められていく。どこか人生の真髄に触れたようで、腑に落ちるものを感じます。
周りに施されたデザイン。
これは何かの広がりを意味しているのでしょうか。
個人的見解では、Accept の得から Practice の修へと向かう道のりが大変なのではと推測します。たとえ知識を得たところで、それを自分のものにするのは容易ではありません。時間も必要でしょう、そして自身への戒めも必要です。修めるまでに至らないことが多々ある現状です(笑) さらにその先の「信」とまでなると、遠い目標のようにも思えてきます。
法然院山門の茅葺屋根。
参詣ですれ違った外国人観光客の方も、しきりに茅葺屋根にカメラを向けておられました。
法然が弟子の住蓮、安楽と共に六時礼賛をつとめた念仏道場の旧跡。ここ法然院は、静寂に守られた歴史の置き土産のような場所です。観光客の行き交う哲学の道から少し山手に入った場所に佇む名刹は、今も思索を楽しむにはおすすめの場所です。
聞思得修信。
この言葉を胸に刻んで、当初の目的である銀閣寺を目指します。