奈良県内屈指の大型横穴式石室を持つ赤坂天王山1号墳。
桜井市倉橋字赤坂に、6世紀末築造の方墳・天王山古墳があります。古墳のある場所は倉橋溜池のすぐ近くです。国の史跡指定を受けた古墳で、江戸時代には崇峻天皇倉梯岡上陵(くらはしのおかのえのみささぎ)とされていました。
赤坂天王山1号墳の家形石棺の中。
玄室中央部のやや北寄りに、凝灰岩製の刳抜式家形石棺が安置されています。石棺の構造には刳抜式の他にも石材を組み合わせた組合式のものが見られますが、やはり刳抜式の方が規模が大きいように思われます。私の見解では、豪華さにおいても刳抜式の方に軍配が上がります。
家形石棺の南側には盗掘孔と見られる穴が空いており、そこから石棺の中を覗き見ることができます。棺の内壁には何やら線刻らしきラインが引かれています。埋葬時に刻まれたのか、あるいは盗掘の際に刻まれたものなのか定かではありませんが、石棺の中にも悠久のロマンが感じられます。
被葬者は崇峻天皇なのか?
赤坂天王山古墳は、古墳ファンの間でもおそらく人気ナンバーワンの古墳です。
石室の規模もさることながら、この古墳の被葬者に関する謎が歴史ロマンを掻き立てて余りあります。何を隠そう、第32代崇峻天皇の陵墓ではないかとする説が唱えられているのです。第29代欽明天皇、30代敏達天皇、31代用明天皇、32代崇峻天皇、33代推古天皇と続く天皇の系譜に名を連ねる人物です。
時の権力者・蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇。馬子の手先に討たれた後、その日の内に葬られたと伝わる悲劇の天皇です。ちなみに現在、崇峻天皇陵は多武峯街道沿いにあります。天王山古墳から倉橋溜池の脇を蛇行する道を辿って行くと、聖林寺から談山神社へと続く多武峯街道へと出ます。倉橋溜池を隔てて、崇峻天皇陵候補のお墓同士が向き合う形ですね。
日本書紀の記述には、崇峻天皇は暗殺された後に倉橋の地に葬られたとあります。考古学者の間では、その規模の大きさからも赤坂天王山1号墳こそが真の崇峻天皇陵ではないかと噂されます。果たして真相やいかに?
盗掘孔を開口部に向ける家形石棺。
玄室の奥壁には巨石が三段積みにされています。
側壁にも三つの巨石が見られますね。玄室の天井を見上げてみると、どうやら天井石も三石構造のようです。玄室奥壁と前壁は持ち送りのためか傾斜が見られます。玄室内は真っ暗闇です。赤坂天王山1号墳を見学する際には、懐中電灯を携帯するように致しましょう。
赤坂天王山古墳へのアクセス方法
比較的分かりやすい場所にある天王山古墳ですが、ここで改めてその行き方をご案内致します。
私は以前にも赤坂天王山古墳を訪れていましたが、横穴式石室の中に入ったのは今回が初めてでした。やはり古墳見学は石室の中に入ってこそ、その醍醐味を味わうことができます。最初は恐怖感に支配されがちですが、徐々に探検気分で胸の高鳴りを覚え、ふと我に返ります(笑)
国道166号線のバス停下尾口(さがりおぐち)付近。
外山から忍阪を抜けて宇陀方面へ向かう長い坂道の手前、ちょうどその辺りに倉橋溜池方面へ抜ける道が右手に見えてきます。信号のあるT字路の脇には、果物屋と太陽光発電のソーラーパネルがあります。この角を右折します。
道案内も出ていますね。
倉橋溜池と天王山古墳が矢印で示されています。
右折してしばらく進むと、二手に分かれる道に行き当たります。
左側が越塚古墳、右側が天王山古墳へと続く道です。今回私は県史跡の越塚古墳にも足を運んで参りましたので、そのご紹介はまた後ほどということで、まずはここを右折して天王山古墳を目指します。
緩やかな坂道が続きます。
このままこの道を上って行くと、程なく目的地へと辿り着きます。
赤坂天王山古墳。
先ほどの坂道を上って行くと、天王山古墳は進行方向右手に現れます。道路の幅は割と広いので、古墳前の道路脇に路上駐車して見学に出発です。
昭和29年3月17日に史跡に指定された天王山古墳。
東南方から北西方に伸びる尾根上に営まれた方墳で、この屋根上には他にも多数の小古墳が散在している。墳丘の一辺は約45m、高さ約9mを測り、うちに家形石棺を蔵する雄大な横穴式石室が南に開口している。石室は巨大な花崗岩を架構したもので、玄室の長さ約8.5m、幅約3m、高さ約4.2m、羨道の長さ約8.5m、幅約1.8m、高さ約2mである。玄室の中央には棺身の長さ2.4m、幅1.2m、身・蓋を合わせた高さ約1.8mの巨大な刳抜式の家形石棺が置かれている。なおこの棺身の羨道に面した側の上辺中央に方形小孔が彫り込まれているのが注意される。副葬品については明らかでないが、石室や石棺の型式から6世紀後半に築造されたものと推定される。
この古墳はその名の示す如く、江戸時代には崇峻天皇陵に擬せられていたもので、墳丘や石室の規模からも大化前代の支配者層の墳墓と考えられる。近畿地方における古墳時代後期の代表的な方墳として著名である。
天王山古墳の墳丘は三段築成です。墳頂に上ることも可能で、頂上部には一辺12mの平坦面があるようです。次回訪れた時には、是非墳頂にも足を伸ばしてみようと思います。古墳の形状が方墳ということですので、その形を確認することができるのかもしれません。
桜井市教育委員会による注意書き。
「史跡を見学される方へ」と題し、頭の輪郭が三角形というマムシに対する注意喚起が行われていました。これは恐ろしい(笑) 確かホケノ山古墳見学の際にも、同じような看板を見た覚えがあります。
赤坂天王山古墳は大和さくらい100選にも選出されているようです。
おなじみの桜井市マスコットキャラクター・ひみこちゃんが案内しています。
案内板の脇から畦道を上がって行くと、この場所に出ます。
赤坂天王山1号墳の重要なアクセスポイントですので覚えておきましょう。
いびつではありますが、Y字に道が分かれていますね。左手が赤坂天王山3号墳、右手が赤坂天王山1号墳への最短アクセス道です。3号墳からぐるっと回って1号墳へ向かうことも勿論出来るのですが、手っ取り早く見学を済ませたい方には最短距離のルートが何より一番です。
Y字に広がる右側のルートを辿り、今度は生い茂る木の手前で左に曲がり、そのまま丘陵に沿って進んで行きます。
しばらく進むと、このような場所に行き当たります。
このまま杜の中へ入って行くわけですが、その手前に一本の木が生えているのが見えます。
木の幹には黄色いテープが巻かれていました。
ひょっとするとこれが、1号墳の場所を示す目印になっているのでしょうか。黄色い目印の後方右側に、目指す赤坂天王山1号墳の開口部が控えています。
ありました、ありました。
巨大な玄室からはほど遠い、実に小さな穴が南向きにぽっかり口を開けています。実はこの1号墳に辿り着く前に、間違えて先に3号墳の石室内に入りました。印象としては3号墳の方が開口部は大きかったような気がします。
角度を変えて1号墳の開口部を見ます。
落葉が開口部から石室内にかけて、まるで見学者を誘導するかのように積もっていました。開口部はわずか50cmほどの隙間です。身を屈めて石室内に入らなければなりません。
神秘的!横穴式石室の古代空間を体験
入口の羨門から羨道へと土砂が流入しているため、羨道には傾斜があって潜り込むような形になります。
手を地面に付いたり、頭が石室内の石に触れたりと、なかなか難易度の高い古墳です。羨道の手前には光が届いていますが、中へ入って行くに従って神秘的な暗闇の世界が広がります。私は懐中電灯を持参していたので、入口付近からも奥の方へ向けて光を当ててみました。するとどうでしょう、そこには確かに大きな石棺が横たわっていました。
開口部近くの羨道。
落葉が縦長に石室内へと続いていました。
崇峻天皇が眠っていたかもしれない ”謎の石棺” が視界に入ります。
たまゆらなのでしょうか?
あるいは単に砂埃が舞っているだけなのか分かりませんが、高次元の光物体・オーブのようなものがカメラに映っていました。レンズに付いたゴミなのかもしれないと思い、吹き取って撮影してみるのですが、やはり玉響(たまゆら)らしきものが映り込みます。不思議ですね。
羨道から玄室へと入る玄門付近。
玄室内にもはっきりと、神秘的なたまゆらが見て取れます。
高さ4.2mにも及ぶ赤坂天王山1号墳の玄室内は、どこかひんやりと感じられました。あの巨大石室で知られる石舞台古墳でさえ、その玄室の高さは4.7mとされます。石舞台古墳にも匹敵する巨大空間に息を呑む瞬間です。
巨大な石が三枚並ぶ玄室の天井石。
少し石の表面が黒くなっているのが分かりますね。
刳抜式(くりぬきしき)の家形石棺。
この石棺も巨大です。長さ2.4m、幅1.2mで、蓋には計6個の縄掛け突起が見られます。玄室内の見所はやはりこの石棺なわけですが、石棺の周りを360度回り込むこともできます。足元に注意を払いながら、ぐるっと一周してみます。
縄掛け突起。
赤坂天王山1号墳の家形石棺を特徴付ける部位ですね。築造当時の6世紀末から今まで、壊れることなくその形を留めていることに驚きます。
石棺の向かって右手下には割と大きな石がありました。
落石なのか、意図的に運び込まれたものなのか定かではありませんが、回り込む際には注意が必要ですね。懐中電灯で足元を照らしながらの探検になります。
ちょうど180度回り込んだ所。
奥壁を背にして開口部の方向を望みます。正面向こう側に、わずかに光の差し込む開口部が見えています。回り込んだ石棺の背後にも、なにやら小さな穴が空いているようです。
正面の盗掘孔よりは小さいですが、確かに穴が空いていました。
二上山から採れた凝灰岩製の石棺だそうですが、この穴は何を意味しているのでしょうか?
横穴式石室の袖部。
羨道から玄室へと、両サイドに広がっていることが見て取れます。いわゆる両袖式のタイプですね。棺の周りには礫石が敷かれていますので、つまずかないように注意が必要です。この距離で奥壁を見てみると、持ち送り構造独特の台形になっているのが分かります。ちなみに前壁も、持ち送りのために傾斜しています。
棺と蓋の上下にそれぞれ、方形の切込みが見られます。
盗掘孔と言われる穴ですが、この写真からも作為性が確認できますね。
羨道奥から開口部を望みます。
まさしくここは過去へのタイムトンネルです。現代から古代へと通じる異次元の世界が広がっています。
見事なまでのたまゆら!
魂の具現化なのでしょうか。
古語辞典によれば、「たまゆら」は「しばらくの間、かすかに」を意味する副詞として使われる言葉なんだそうです。儚くもありながら、永遠性をも感じさせるたまゆらに思わず手を合わせます。桜井市は横穴式石室の宝庫だとよく言われますが、赤坂天王山古墳が見事なまでにそのことを体現しています。
巨石の威圧感!
どうだと言わんばかりに覆い塞がる巨石の数々。
石舞台古墳のように観光化されていない古墳だけに、その希少価値は何倍にも膨れ上がります。
桜井市の観光の目玉は横穴式石室にある。そう言っても過言ではないような気が致します。他所の土地には無い観光資源を、今一度見つめ直してみる必要もあるのではないか。そんな思いにさせてくれる貴重な史跡です。
赤坂天王山1号墳の開口部を見下ろします。
天皇陵は宮内庁の管轄下にあります。よって静謐を約束された天皇陵に立ち入ることはできません。
そういう観点に立つなら、全国に数ある天皇陵の中でも唯一立ち入ることの出来る古墳と言えなくもありません。あくまでも赤坂天王山1号墳を崇峻天皇陵と仮定するならの話ですが、これ以上にはない穴場感を感じさせてくれる古墳だと思います。
卑弥呼の墓ではないかとされる箸墓古墳なども、昔は近隣住民の通る近道が、あろうことか古墳を横切っていたと聞いたことがあります。今でこそ立ち入ることの出来ない箸墓古墳ですが、時代を遡れば大らかなものだったんだなと思います。古墳と聞けば、何やら構えてしまう向きもあると思われますが、もう少しフランクに向き合ってみてもいいのではないでしょうか。