中平銘鉄刀(ちゅうへいめいてっとう)は卑弥呼への贈り物だったのか?
前方後円墳の後円部中央に納められた棺周辺から、武器や装飾品など600点にも及ぶ副葬品が出土したことで知られる東大寺山古墳。近くに佇む赤土山古墳を見学した後、以前から一度訪れてみたいと思っていた東大寺山古墳へ行って参りました。
東大寺山古墳の墳丘へ続く階段。
古墳墳丘は竹林に覆われており、そこへ至る階段も竹で作られた石段ならぬ”竹段”でした。
東大寺山古墳に関しては、天理参考館による発掘調査が1961年から半年間にわたって行われています。築造年代は4世紀後半頃とされますから、赤土山古墳ともほぼ同時期に造成された前方後円墳です。全長140m、後円部径84mで葺石・埴輪が並んでいたと伝えられます。
天理教城法大教会の敷地内を通ってアクセス
東大寺山古墳見学においては、天理教城法(しきのり)大教会の敷地内を通る必要があります。
他所様の土地を通って行くわけですから、見学の際には天理教関係者の方に一声掛けておきましょう。
それではまず、天理教城法大教会のある場所からご案内致します。
国道169号線を奈良方面へ向かい、名阪国道を超えた辺りで程なく右手に和爾下神社の鳥居が見えて参ります。そこを通り過ぎてさらに北上すると、やがて右手に交番が視界に入ってきます。そこを右折して、そのまま東へ進みます。やがて突き当りに天理教城法大教会の正門が見えて参ります。
天理教城法大教会の敷地内。
全国各地の天理教教会の幟旗がはためきます。幟旗の背後に見えている丘陵が東大寺山古墳ですね。
こちらが天理教城法大教会の正門。
私が訪れた時は、ちょうど門脇で庭師の方が作業中でした。車でアクセスする場合は、この門の右手の道路脇に路駐することができます。やむなく駐車する場合は、くれぐれも他の車の通行の邪魔にならないよう配慮が必要です。
全国各地に波及する天理教の教え。
幟旗の教会名を見ているだけでも、その信仰のチカラを感じることができます。数年前に東京から来た旧知の友人を連れ立って、夏休みイベントの子供おぢばがえりを拝見しました。「ようこそお帰り」を合言葉に、全国各地から集う信者たちと共に、熱のこもった行事が繰り広げられました。そんな天理教のお膝元に、これから訪れる東大寺山古墳は存在しています。
幟旗に並行してずっと奥へ進んで行くと、東大寺山古墳の案内板がありました。
案内板の右手には古墳へと続く石段が見えていますね。
東大寺山古墳から出土した鏃(やじり)の数は300点にも上るそうです。鉄製の鉄鏃(てつぞく)、青銅製の銅鏃(どうぞく)などが無数に発見されたと言います。発掘現場の驚きのシーンが想像されますね。
巫女的役割を担っていた人物が身に付けていたであろう、腕輪型石製品も特筆すべき副葬品の一つです。
出土した時は既に色落ちしていましたが、腕輪型石製品の鍬形石や車輪石は、その材料が碧玉や緑色凝灰岩のためグリーンに発色していたものと思われます。さらには、飾り金具として使用された巴形銅器(ともえがたどうき)なども注目に値します。今も神社仏閣でよく目にする巴紋ですが、この時代から既に巴形は特別なデザインであったことが窺えます。
東大寺山古墳の解説。
標高130mの丘陵に造られた北向きの前方後円墳。
全長140m、中腹と裾に円筒埴輪列が、また墳頂部に形象埴輪が並んでいた。
主体部は粘土槨にて南北12m、東西8m、深さ約3.7mの墓壙の底に、砂礫と粘土で丁寧な棺台を設け、長大な木棺が粘土で覆うようにして安置されていた。昭和36年初め、鍬形石27・車輪石26など多数の碧玉製品・滑石製品・鉄刀剣などが掘り出されたのを機会に、同年9月から翌年1月におよぶ発掘調査の結果、主体部はほとんど盗掘されていたが・・・
粘土に包まれた木棺の長さは、実に7.4mにも及んだそうです。
被葬者の頭位は北側で、棺の底には朱が塗られていたと言います。赤く塗られた棺があちこちで出土していますが、おそらく魔除けの意味が込められていたのでしょう。
中国後漢時代の金象嵌銘を持つ大刀
東大寺山古墳を一躍有名にしたのは、謎の鉄刀です。
被覆粘土中から出土したという刀剣・鉄鏃・銅鏃、さらには革製漆塗の盾や短甲等々の武具類。
その中に、中国・後漢の「中平」年の金象嵌銘を持つ大刀が発見されたのです。これは中国皇帝が卑弥呼に贈った大刀ではないか?様々に物議を醸す大刀だったわけですが、現在は東京国立博物館に所蔵されているようです。
東大寺山古墳へ続く石段。
古墳への行き方には迷うことも多いのですが、もうここまで来ればしめたものです。
石段を上って振り返ります。
さすがにここは高台ですね、天理教の建物の向こうには大和平野が開けています。
石段を登り切ったら、今度は左へ曲がって進んで行きます。
もうこの辺りも東大寺山古墳の一部に当たるのでしょうか。
竹の階段を墳頂目指して上って行きます。
季節は真冬ということもあり、落葉もすっかり乾き切った様子です。
墳頂に辿り着きました。
何もありません(笑) 当然と言えば当然なのですが、古墳見学にありがちな ”がっかり感” も少し頭をもたげて来ます。
辺りを見回すと、伐採された竹が寄せ集められていました。
少しでも墳頂を広く見せるよう、手入れが施されているのかもしれませんね。
竹の切株。
近寄ってみると面白い形をしていますね。まるでモップのような見た目に、思わず笑みがこぼれます。
墳頂見学を終え、来た道を引き返します。
出土した刀剣も200点を数えるという東大寺山古墳。
純金で象嵌された大刀に刻まれた24文字の銘文には、中国後漢の中平年の文字が見られます。後漢時代は西暦184~190年に当たり、日本では卑弥呼が王に擁立され、邪馬台国を治めていた時代に相当します。
卑弥呼の時代に日本へ渡り、その後200年の時を経て東大寺山古墳の副葬品として埋葬された謎の大刀。その意味するところは何なのでしょうか。
復路はこの天理教の階段を使わせて頂きました。
改めて高い所にある古墳なのだなと実感します。
東大寺山古墳出土の中平銘鉄刀は、国内出土最古の紀年銘遺物として注目を集めています。
遠い昔も遠い昔、西暦200年にも満たない時代の遺物が発見されるなんて、さすがに奈良は奥が深いですね。
<東大寺山古墳の周辺観光ガイド>