仏塚古墳を見学して来ました。
6世紀末の方墳で、横穴式石室が南に開口しています。古墳のある場所は、法隆寺の背後に広がる谷間です。今回は法輪寺前の三井観光自動車駐車場に車を停め、徒歩で向かいました。
仏塚古墳の横穴式石室。
施錠されており、柵越しに石室内を撮影。奥壁まで見えていますが、巧みに割り石が積まれているようです。両袖式の横穴式石室が南西に開口していました。
中世に仏堂再利用の横穴式石室!松尾道沿いの極楽寺
矢田丘陵の松尾寺への参詣道。
通称「松尾道」と呼ばれる道沿いに仏塚古墳はあります。鎌倉時代の極楽寺も、仏塚古墳を語る上では欠かせないお寺でしょう。
横穴式石室はその特性上、時を経てからの追葬が可能です。仏塚古墳には亀甲型陶棺が2つ以上確認されているようです。鎌倉後期から室町初期にかけて、密教系の仏堂として再利用された痕跡があります。
仏塚古墳の墳丘。
西側に回り込むと、はっきりと墳丘の姿を捉えることが出来ました。右向こうにみえる墓石群は、極楽寺墓地です。
仏塚古墳の開口部。
この大きな石が目立ちますね。
基本的に南に開口していますが、やや西を向いているでしょうか。概ね横穴式石室は南向きです。単純に “明り取り” が目的で、内部に光を入れるためです。中世には布教活動の祠として再利用されていた仏塚古墳。実用空間で、太陽の方を向く必要はあるわけです。
三井観光自動車駐車場から二手に道が分かれています。
仏塚古墳の行き方ですが、左の道を選択します。青く塗られた自転車道ですね。最初は間違って右の道を上がって行きました。ここは左へ歩を進めましょう。
法隆寺の道案内。
法隆寺、斑鳩神社方面を目指します。
やがて右手に「堂の池」が見えてきます。
池の向こうに見えるのが極楽寺墓地です。ここから先は、右へぐるっと回り込むイメージです。極楽寺墓地を巻き込むように右へ取り、松尾道を北へ進みます。
左手の社叢が斑鳩神社です。
東里太鼓委員会の幟が立っていました。10月に秋祭りが行われるようです。
程なく右手に極楽寺墓地が見えて参ります。
この先を右折し、松尾道を北上します。
右へ曲がった後は、北へ進みます。
こちらは天満上池ですね。
ここを右へ入ると、鵤浄苑(いかるがじょうえん)です。
このままもう少し進むと、左手に法隆寺送水ポンプ場があります。その手前に仏塚古墳の案内板がありました。
仏塚古墳の案内板。
昭和51年12月に、斑鳩町教育委員会が県立橿原考古学研究所の協力を得て発掘調査を行い、出土遺物などから6世紀末頃に造られたと推測されます。
古墳の形は、一辺約23mの「方墳」と推定され、石室は横穴式石室です。縄文時代から室町時代頃の遺物が出土し、副葬品では、須恵器などの土器類や耳環(じかん;イヤリング)、馬具などがありました。
また、貴重な遺物として、高さ9.5cmの金銅仏や塑像仏の破片、花瓶や六器(ろっき)などの仏具など、仏教に関するものが出土しました。これらは、中世になって石室が仏堂として利用され、当時「聖(ひじり)」と呼ばれた僧侶が一般民衆へ布教活動を行う際の祠とされたようです。
六器(ろっき)とは、密教法具の一つですね。
金銅製の器で、六つ揃って一式となります。仏堂として再利用されていたとは、この地ならではのものを感じます。法隆寺からも徒歩圏内です。仏塚古墳の被葬者は、上宮王家とも関係があるのでしょうか。
仏塚古墳の周辺地図。
「現在地」は案内板の立つ場所です。
仏塚古墳へは左へ降りて行きます。広い谷間の田んぼの中にありますので、案内板からは徒歩3分ぐらいの距離です。地図を見ると、このまま松尾道を進めば毛無池に辿り着くようです。毛無池から約1.6kmで松尾寺にアクセスします。
田圃の中の仏塚古墳。
最後は細いコンクリート道を渡り、開口部に辿り着きます。
仏塚古墳。
寺山丘陵から延びる尾根の先端部に当たります。
まだ暑い時期に訪れたためか、雑草が繁茂していました。
冬期ならもう少しスッキリしていたことでしょう。
柵越しの見学となります。
事前に連絡を取れば、解錠もして頂けるようです。
石室内は十分に明るいですね。
比較的恐怖感も無く、見学できるのではないでしょうか。全長9.4m、玄室長3.9mを測ります。前方後円墳が終焉を迎え、方墳に切り替わるタイミングの古墳と言えるでしょう。
墳丘上から極楽寺墓地を遠望します。
その先の杜が斑鳩神社ですから、このエリアの歴史を独り占めにした感があります。
鎌倉時代に端を発する極楽寺。
仏塚古墳が仏堂として利用されていた時期とも重なります。何某かの関係があったものと思われます。
法隆寺の駐車場で見つかった古墳。
特異な場所で話題をさらう舟塚古墳ですが、意外と知られていないのが仏塚でしょうね。ここに辿り着く前、近隣住民の方に場所をお伺いしましたが、仏塚古墳の名前すらご存知ではありませんでした。
毛無池手前の道標。
仏塚古墳の見学を終え、松尾道をさらに北上しました。
ここからさらに北へ進めば、厄除霊場の松尾寺にアクセスします。電柱の横にはイノシシ出没注意の看板が立っています。
松尾寺・松尾山へ1.6km。
毛無池の脇を進んで行きます。
「右 松尾・・・」の標石。
毛無池。
法隆寺周辺は溜池が多く見られますね。
仏堂として再利用。
長い短いはあるにせよ、人は必ず死にます。命は絶えるのです。
仏塚古墳の被葬者は何を想うでしょうか。葬られた場所が、後世に人の役に立っている。命のバトンタッチと捉えるなら、幸せな気分にも浸れるのではないでしょうか。
橋の上から右向こうに仏塚古墳を望みます。
橋の左手には、天満スポーツグラウンドがありました。