二上山の麓にある石光寺(せっこうじ)。
天智天皇の勅願寺とされます。牡丹や糸掛桜、染の井などが見所ですが、山門入った所にある「想観の沙(すな)」に注目してみたいと思います。
瑞垣に囲まれた想観の沙。
左奥に弥勒堂、右手前には阿弥陀堂(常行堂)が建ち並びます。
「想観の沙」は円形と方形の盛り砂です。盛砂(もりすな)と言えば、京都の永観堂や法然院を思い浮かべます。そもそも石光寺の盛砂は、なぜ「沙」と表すのでしょう。案内によると、お釈迦様が沐浴されたガンジス河の沙(すな)に例えているようです。
執着から覚りへ至る道!苦しみを手放して自由になる想観の沙
人生は思い通りにならないという一切皆苦。
そこがスタート地点であり、苦しみの原因である執着を手放すことが仏教の教えにもなっています。何事も杓子定規に考えるのではなく、まぁるく全体を見渡してみたいものです。四角四面ではなく円満に対処する・・・人生行路のコツなんだろうと思います。
蓮華と二上山。
當麻方面からてくてくと、染野の石光寺を目指します。
沙は砂よりも目が細かく、サラサラとしています。
「沙汰」という言葉があるように、「沙」には「水で洗って悪い物を取り除く」という意味があります。「沙汰」を分解すれば、「沙」が砂、「汰」は選び分けるという意味になります。砂に混じる金を選び分ける際に使われていたようです。言葉というのも面白いもので、その後長い年月を経て、本来は「汰」が持つ「選び分ける」の意味が、「沙」にも付されるようになりました。
余計なものを削ぎ落とし、丸くなる。
石光寺の想観の沙。
手前が此岸で、向こうが彼岸を表します。方形の執着から円形の覚りへと至る道。迷いから解き放たれ、悟りの境地へ向かいます。
突き当りに石光寺の山門が見えてきました。
石光寺は白鳳期に創建された浄土宗寺院です。
天智天皇の時代、染野の地に不思議な光を放つ大石があったと伝わります。その場所を掘ると、弥勒三尊の石像が現れました。そこで天皇は勅願寺院を建立することを決意したのです。
山門脇の築地塀手前に駐車場がありますね。
石が光っていたから「石光寺」なのですね。
石光寺の寺号標。
日本最古白鳳弥勒石仏の寺と刻みます。平成3年に発掘された白鳳時代の仏頭を見学したことがありますが、歴史を感じる古色蒼然とした仏像でした。
灯りには「中将姫旧跡・石仏の寺」と書かれています。
中将姫が當麻曼荼羅を織るため、蓮糸を五色に染めたという「染の井」が境内にあります。さらには染色した蓮糸を干した糸掛桜の古株も祀られ、中将姫伝説の地としても知られます。
関西花の寺第二十番霊場の石光寺。
当麻寺の牡丹も綺麗ですが、石光寺の牡丹も実に艶やかです。
苦しみを手放すにはどうすればいいか。
必ず訪れるという生老病死の苦しみ。愛別離苦も重なり、とかく人の世は辛いものです。それらの苦しみの元は、全て執着にあるのかもしれない。その気付きから人生の再出発となるのでしょう。
肩の力を抜き、余計なものを取り払って楽になる。
この世に居ながら彼岸の世界に立ち入る。石光寺の想観の沙を見ていると、徐々に心が落ち着いてくるのを覚えます。
山門から左手に回り込んだ所にも門がありました。
今回私はウォーキングを楽しむため、道の駅かつらぎに駐車してここまで歩いて来ました。公共交通機関を利用する際の最寄り駅は近鉄南大阪線の二上神社口駅です。駅から徒歩15分ほどで石光寺にアクセスします。
角が取れて丸くなる。
大切なことですよね。
きっちりやる、抜かりなく取り組むって大事なことですが、一度そこから離れて俯瞰してみるのもより大切です。集中して頑張った後は、レンズ交換して全体を見渡してみる。偏りを無くし、全体のバランスを取っていく。一度抜きん出たら、他分野にも目を移していく。そうやって何度も壁を乗り越えていく内に、学習高原の段階も上がっていくのでしょう。