四天王寺には四つの聖なる石があります。
南北に一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置のさらに南側、南大門を入った所に四天王寺四石の一つである熊野権現礼拝石があります。
四天王寺の熊野権現礼拝石。
その昔、聖地熊野を目指した人々が、この礼拝石の上に立って手を合わせたと伝えられます。
彼方に鎮まる熊野権現に向かって手を合わせ、道中の安全を祈願したといわれます。平らな石の表面は、人が上に立つには都合が良さそうです。昔の旅は今とは比べものにならないほど過酷でした。そのため、熊野権現礼拝石で祈願した後、熊野権現への道中で力尽きた人も多かったのではないでしょうか。
駐車場近くにある熊野権現礼拝石
今回の四天王寺参拝は、JR天王寺駅から徒歩で石ノ鳥居(四天王寺伽藍の西側)を目指しました。車でアクセスされる方は、やはり南大門向かって右手前にある駐車場を利用することになるのではないでしょうか。
熊野権現礼拝石と四天王寺南大門。
南大門というと、ほとんどのお寺ではメインになる玄関口を想像します。しかしながら、ここ四天王寺においては石ノ鳥居に続く極楽門(西大門)がメインではないでしょうか。四天王寺南大門を通って境内へ入る人の大半は、車での参拝客ではないかと思われます。
四天王寺南大門と駐車場。
南大門から南へ300mほどの場所に庚申堂があります。南大門のすぐ前を国道25号線が走っており、門を出て右へ行けば難波、左へ取れば奈良方面へと通じています。南大門向かって左手前は観光バスの乗降スペースになっており、南大門周辺は車でアクセスする人にとっては馴染みの深い場所のようです。
「日本佛法最初四天王寺」と刻まれていますね。
日本仏教における最初の官寺として知られる四天王寺。聖徳太子が四天王寺建立に着手したのは推古天皇元年(593)です。奈良の法隆寺創建より20年ほど早く、この場所に日本仏法最初の官寺が建てられました。
南大門前の四天王寺駐車場。
訪れたのはお盆前ということもあって、盂蘭盆会の提灯が吊るされています。
熊野権現礼拝石から北を望みます。
仁王門と五重塔が北へ向かって一直線に見えます。五重塔のさらに北側には金堂、講堂と続いています。五重塔、金堂、講堂などの拝観には拝観料が必要ですが、弘法大師の命日である毎月21日の「お大師さん」の日には、中心伽藍も無料開放されて賑わいを見せます。
熊野権現礼拝石。
今は世界遺産にも登録されている聖地熊野。熊野の遥拝所を、歴史ある四天王寺の地で見ることになるとは思ってもみませんでした。
熊野権現礼拝石の案内板。
この標石は熊野権現の礼拝石といい、四天王寺四石(転法輪石、引導石、伊勢神宮遥拝石、熊野権現礼拝石)の一つである。
平安・鎌倉時代に盛んであった熊野詣りの道筋は、京都の宇治から大阪の天満まで淀川を船で下り、天満から四天王寺・住吉大社・和歌山の田辺を通るもので、熊野街道と呼ばれた。
四天王寺の西門信仰と同じく、熊野三山が極楽往生を願う浄土信仰の聖地として篤く信仰されたことから、人々はまず当山に詣でた後、ここで熊野の方向に礼拝し、熊野までの道中安全を祈ったといわれる。
四天王寺南大門。
熊野街道のルートは、四天王寺~住吉大社~和歌山の田辺という道のりだったのですね。
四天王寺からも程近いあべのハルカスの展望台からは、四天王寺や住吉大社も見渡すことができます。関西空港なども視界に捉えることができ、外国人観光客からも一様に驚きの声が上がります。
四天王寺南大門から熊野権現礼拝石を望みます。
聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のために、仏教の守護神である四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を安置して建立した四天王寺。熊野権現礼拝石をはじめとする四天王寺四石に四天王、どうやら四天王寺には「四」というキーワードが隠されているようですね。