弥生時代中期に最も多く描かれたと言われる絵画土器。
単なる土器ではなく、表面に人や動物などの絵が描かれた特別な土器として知られます。
こちらのページは2012年度の再編記事になります~桜井市三輪に住んでいながら、まだ一度も桜井市立埋蔵文化センターに入館したことがありません。今回初めて埋蔵文化財センターを訪問してみることにしました。
埋蔵文化財センターの展示収蔵室にディスプレイされていた絵画土器。
芝遺跡で出土した桜井市指定文化財の絵画土器です。
家屋の屋根でしょうか。古代人の手によって格子状の模様が描かれています。
絵画土器において家屋が描かれる場合は、高床式の建物が多いと言われます。稲作文化が芽生えた弥生時代の穀物貯蔵庫として使われた建物です。目の前の絵画土器も屋根の部分しか見えませんが、その全体像は高床式建造物なのでしょう。
文字にしたためた古代の硯(すずり)も興味深かったですね。
絵や文字を通して、何かを残しておきたいという思いが伝わってきます。
子持勾玉や記号文土器も展示
土器に描かれるのは絵画ばかりではなく、記号文(きごうもん)のようなデザインも見られます。
意味深な記号文ですが、古代人たちの間で使われた合図のようなものだったことがうかがえます。
桜井市立埋蔵文化財センターの前から大神神社の大鳥居を望みます。
国道169号線に面しており、交通量の非常に多い場所に埋蔵文化財センターはあります。
パンフレットによれば、昭和63年10月に芝運動公園の一角に建設されたと案内されています。三輪小学校や大三輪中学校に通っていた頃、芝運動公園の中の芝プールで水泳大会が開催されましたが、その当時はまだ埋蔵文化財センターは建設されていませんでした。
弥生時代の絵画土器が「やよいアート」と表現されています。
銅鐸の展示スペースの手前に、様々な種類の絵画土器が並べられています。
絵画土器に描かれているのは家屋の他にも、人物、鹿、鳥、龍などが挙げられます。龍は想像上の生物ですが、弥生時代の生活圏の中に鹿や鳥が身近に存在していたことが推測されます。
奈良といえば奈良公園の鹿(天然記念物)を思い出しますが、弥生時代の奈良にも鹿が生息していたのでしょう。絵画土器には角を生やした雄鹿が描かれることが多く、秋の収穫のイメージと重なります。現在も催されている奈良の鹿の角切り行事は10月ですよね。安全上の配慮から、雄々しく伸びた雄鹿の角が切り取られるわけですが、弥生人にとって雄鹿の角と稲穂は、どこか重なって見えていたのかもしれません。
こちらの絵画土器は鳥が描かれているのでしょうか。
見方によっては、舌を出した蛇に見えなくもありません。
絵画土器には両手を広げた人物像が描かれることが多く、鳥の真似をするシャーマンが描かれていると言われます。ジュディオングの「魅せられて」ではありませんが(笑)、大空を羽ばたくイメージなのでしょうか。神託を受けるシャーマンが、古代に神聖視された鳥と同化する姿にはスピリチュアルなものを感じます。
人物、動物、家屋といった具体的な絵ではなく、写真のような抽象的な絵が描かれていることもあります。
矢羽根のような形をしています。果たして何を表しているのでしょうか?
三つの点がデザインされています。
ドット模様の絵画土器と言えばいいでしょうか、一種の暗号のようで謎めいています。
展示収蔵室の奥の方に家形埴輪もディスプレイされていました。
纒向遺跡から出土した木製仮面や桃の種で人気を呼んでいる桜井市立埋蔵文化財センターですが、旧石器時代から飛鳥・奈良時代に至るまでの様々な文化財を見学することができます。
三輪山麓から出土した子持勾玉。
大神神社のお守りにもなっている子持勾玉も展示されています。
この子持勾玉もそうですが、三輪山の西側から集中的に様々なものが出土しています。三輪山の西側といえば、私の経営する旅館も三輪山の西に位置しています。古代日本の黎明期には、とても重要なエリアだったことが伺えます。
桜井市立埋蔵文化財センターは考古学ファン必見の歴史資料館です。
三輪の地を訪れたなら、是非やよいアートの描かれた絵画土器を見学しに行きましょう!