JR柳本駅の北東方向に迎蓮寺(こうれんじ)というお寺があります。
道行く地元の方に聞いてもご存知ではありませんでした。どうやら今は廃寺のようです。駅構内に掲示されていた地図を頼りに向かってみることにしました。
天理市迎蓮寺毘沙門堂に安置される毘沙門天立像。
腰から上が幕に隠れ、そのお姿を拝観することは出来ませんでした。12世紀作の仏像とされますが、見事に極彩色が残っています。
毘沙門堂横に祀られる阿弥陀石仏と地蔵石仏
毘沙門天もさることながら、中世の石仏も目を引くお寺です。
極彩色の毘沙門天立像を安置する毘沙門堂の右横に、たくさんの石仏群がありました。
天理市の迎蓮寺。
おそらく近隣住民しか通らないであろう道沿いに迎蓮寺はあります。
タイヤで境内が区切られており、なんとかギリギリ維持されている様子がうかがえます。二基の石燈籠を前にするのが毘沙門堂で、その右横にたくさんの石仏が祀られています。毘沙門堂の左横は公民館のようでした。
建治2(1276)年1月9日の銘文入り阿弥陀石仏。
柳本駅構内の解説に従えば、おそらくこの一番目立つ石仏が阿弥陀さんでしょう。柔らかな曲線美を感じさせる鎌倉時代の石仏です。
1364年の僧善教作と伝わる地蔵石仏。
その次に際立っていたのが、こちらの石仏です。おそらく善教さんが彫った地蔵尊に違いありません。舟形光背の中にすっぽりと全身を入れ、右手に錫杖、左手には宝珠らしき球体を手にします。室町時代の地蔵石仏ですが、こちらも保存状態は良好です。
JR柳本駅構内の周辺地図。
迎蓮寺の場所は、地図上の③に当たります。道路が複雑に入り組む4番の位置には、長岳寺飛び地境内の五智堂が建っています。
下長岡公民館。
迎蓮寺毘沙門堂の左横にある建物です。
歴史をさかのぼれば、迎蓮寺は明治29年に火事で焼失しています。今はわずかに毘沙門堂を残すのみです。お寺の現状を目にすれば、「迎蓮寺跡」と称した方がいいのかもしれません。
迎蓮寺(こうれんじ)毘沙門天像の解説文。
腰から上のお顔を写す写真も掲示されていました。
制作は12世紀と思われ、1689年と1727年に修理が行われています。極彩色で高さ106cmの木造の立像です。普段、祠は施錠されているので全身を見ることはできません。
祠の横には、建治2(1276)年1月9日という銘文が入った、阿弥陀石仏や1364年の僧善教作と言われている地蔵尊などが数多く安置されています。
長岳寺の五智堂。
季節の花が彩りを添えます。
黒塚古墳の桜。
黒塚古墳は前方後円墳で、その前方部から後円部を望みます。
今年の桜もそろそろ終わりですね。葉桜が目立ち始め、周濠の水面には”花筏”が見られました。