馬が嘶く(いななく)。
馬の鳴く様子に使われる「嘶き(いななき)」という言葉。
この言葉を分解してみると、そもそも「い」が馬の鳴き声を表しているようです。
大安寺嘶堂。
馬頭観音を祀るお堂です。
馬頭観音は観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つで、六観音にも名を連ねます。六道に迷う衆生を救うという意味合いで、畜生道に当てられています。煩悩や悪心を草を食む馬のように食べるとも言われ、観音菩薩の中では作例も少ない方に入ります。
馬が声高く鳴く!古語の「いばゆ」
馬の鳴き声を表す時に使われる「ヒヒ~ン」という擬声語。
オノマトペの一種ですが、あの甲高い声こそが”嘶き”です。
単に「いなく」とも表現され、馬の鳴き声そのものが「い」であることがうかがえます。
大安寺境内の『いのちの小径』。
嘶くという言葉は現代語ですが、古語の世界ではどのように表現していたのでしょうか?
どうやら「嘶ゆ(いばゆ)」と言っていたようです。
冬たちなづむ駒ぞいばゆる
「いばゆ」から「いばふ」にも転じ、”駒、北風にいばふれば” などと古文書に残されています。馬は寒いのが苦手だったのでしょうか、寒気の中で馬がいななく様子が伝わってきます。
大安寺の嘶堂。
薔薇(ばら)の語源は「茨(いばら)」であって、「い」が抜けた言葉です。単に隠れることを「い隠る(いかくる)」と表現したりもします。この場合の「い」は接頭語で、早い話が ”お飾り” です。そう考えると、「嘶く(いななく、いなく)」の「い」もお飾りに思えなくもありません。
一方でヒヒーンと鳴く馬の、ヒ(hi)音のh が抜けたものだとする説もあるようです。フランス語では、h音を発音しませんが、それと似た類と考えることもできるでしょう。まぁいずれにしても、現代日本では馬はヒヒーンと嘶くものというオノマトペが成立しています。
大安寺の達磨守り。
擬声語も面白いですよね。私たちの食卓のお供である鶏は、ピヨピヨからコケコッコーへと変遷します。馬に関してはおそらく同じでしょう。
大安寺の江戸時代伽藍図。
創建当時(天平時代)の伽藍とは異なりますが、今よりも広大であることがうかがえます。
古来より人の生活圏内で暮らした馬。
身近な存在だっただけに、注がれる愛情も一入だったのではないでしょうか。現代人が馬の嘶きを耳にすることは滅多にありませんが、「嘶く」という言葉はいつまでも残っていってほしいですね。