三輪山を御神体とする大神神社から檜原神社へ向かう途中にある玄賓庵(げんぴあん)。
平安時代に興福寺の僧であった玄賓が、仏教界の堕落と道鏡の専横を嘆いて遁世したと伝わるお寺です。拝観時間は午前10時から午後3時までと限られています。重要文化財の木造不動明王坐像が祀られ、山門傍では蛙の石像が出迎えてくれます。
玄賓庵の山門。
当初の玄賓庵は三輪山の檜原谷に結ばれていたそうですが、廃仏毀釈のあおりで明治期になってこの地に移されてきました。世阿弥の謡曲『三輪』の舞台になっていることでも知られます。玄賓僧都とミステリアスな美女のお話は、今も大神神社境内の衣掛杉が伝えています。さすがに神の山だけあって、三輪山麓には不思議な伝説が残されているんですね。
正月の護摩供養を見学
玄賓庵は真言宗醍醐派の寺院です。
普段から不動明王石像の前にある護摩壇が気になっていたのですが、偶然にも護摩供の最中にお邪魔することができました。訪問日は今年のお正月です。写真整理に時間が掛かり、ご報告が遅れてしまいました。
玄賓庵の護摩祈祷の様子。
導師の後ろにゴザが敷かれ、参詣客の席が用意されていました。ほとんどの方が腰を下ろさずに立ち見なさっています。護摩供の迫力に気圧され、座って見ている場合ではないといった感じでしょうか(笑)
山の辺の道。
大神神社から15分ほど歩いて来ると、行く手に玄賓庵が見えて参ります。二手に道が分かれていますが、ここは右に取ります。左へ行くと行き止まりですのでご注意を。正面に玄賓庵の築地塀と石垣が視界に入ってきます。
山門の所にお心持ちをお願いする札が立っていました。
柱に掛かった木札には、「三輪山奥之院 玄賓庵密寺」と書かれています。ちなみに玄賓庵の拝観料は200円です。
山門入って左手には、枯山水のお庭がありました。
波紋が美しいですね、向こうに立っていらっしゃるのは弘法大師様でしょうか。
護摩行を見学したのは、吉野山の脳天大神以来です。
護摩壇からモクモクと煙が立ち上り、煩悩が焼き尽くされていくのを感じます。護摩壇の奥に不動明王様が見えていますね。山伏の格好をした方が朗々とお経を読み上げておられました。験(しるし)を身に付けるために山中で厳しい修行をしている山伏。その霊力を感じさせるお経の読み上げです。
燃え上がる炎は「天の口」であるとも言われます。
それは仏の智慧の象徴であり、そこから供物を食するのだとか。奉納された護摩木は供え物として焼かれ、煙が天に届くことで天は食を頂くことになります。その代わりに人に福を与えるという教えのようです。
野外で行われる護摩法要は修験道ならではですね。
導師の御前に用意された護摩行の道具。
地面に付かないように石が配置されているようです。なんだか本格的ですね。
石の上に桧葉、さらには井桁に組まれた護摩木が置かれています。
護摩法要に用いられる薪を乳木(にゅうもく)と言いますが、桑などの生木が使われることが多いようです。桑は乳汁を多く含み、護摩木には適しているんだそうです。
これから始まる護摩供を待ち侘び、境内には緊張した空気が漂います。
護摩壇の火を守る方が二人いらっしゃいました。
護摩行にも外護摩(げごま)と内護摩(ないごま)があって、実際に護摩木を燃やす護摩行を外護摩と言います。その一方で、観念的に自分自身の内にある煩悩を燃やす護摩行を内護摩と呼んでいます。今回の護摩行は護摩木を燃やすわけですから、外護摩に当たりますね。
ところで、結界の縄に紙垂のようなものが垂れ下がっているのが見えます。火除けの護符と呼ばれるものでしょうか。護摩法要の後、この紙垂を持ち帰るとご利益に授かれるとのことでした。
護摩の炎は不動明王の深遠な智慧を表します。
そして護摩木が煩悩を表しています。
不動明王の縁日である毎月28日に行われることの多い護摩供養ですが、正月に行われる護摩供養は特にご利益があると言われています。
桧葉もくべられ、火の勢いが強まります。
護摩壇の炎は不動明王の光背に見られる火焔そのものですね。
毎年行われている法要だと思われますが、慣れた手つきで進行していきます。
見学者はじっとその様子を見つめ続けます。
赤、黄、緑と様々な色の紙垂が下がっています。
紙垂も注連縄と同じく結界を表すものですが、神社の境内でよく見る”白い紙垂”とは趣を異にしています。形状も明らかに違いますよね。どこかこう、白装束の信者さんが手にしている・・・竿の先の形にも似ています(笑)
これも結界を示す石でしょうか。
神聖な場の片隅に置かれていました。
足元には桧葉がスタンバイしています。
次から次へと護摩壇にくべられ、不動明王の智慧の火が燃え盛ります。
とりあえず桧葉は、こちらの石の上に置かれるようですね。
地面に落ちているのは三鈷の松(さんこのまつ)でしょうか?
先が三つに分かれた松葉です。決して手を使わず、丁寧に掬い取って護摩壇にくべる所作が印象的でした。京都永観堂の縁起物として三鈷の松を持ち帰ったことがあります。そもそも、三鈷の松とは高野山金剛峰寺に伝わる霊木に由来していることをここに記しておきます。
弘法大師が唐から帰国する際、真言密教を広めるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたそうです。
するとどうでしょう、紫雲(しうん)がたなびき、雲に乗って日本へ向けて飛んで行ったと云います。帰国後、お大師様が高野山近辺に立ち寄ったところ、夜な夜な光を放つ松があるという噂を狩人から聞き付けます。早速その地に赴いたお大師様は、唐より投げた三鈷杵が松の木に引っかかっているのを見つけます。この地こそ密教を広めるにふさわしい土地であると決心するに至ります。今も金剛峰寺にあるその霊木は、三鈷杵と同じく三葉の松なんだそうです。素敵なエピソードですよね・・・今私が目の前にしているのは、その伝説に彩られた三鈷の松なのかもしれませんね。
法螺貝の音色が三輪山麓に響き渡ります。
いいですね、実に雰囲気があります。法螺貝の音を聞いたのは長谷寺の時報以来かもしれません。
檜原神社にも近い不動明王御坐す古寺
玄賓庵は檜原神社にも近いことで知られます。
天照大神が伊勢神宮に祀られる以前の在所とされる檜原神社。「元伊勢」と呼ばれる檜原神社境内へも、わずか徒歩5分の所要時間です。
山の辺の道の道標。
玄賓庵から檜原神社へ向かう途中にあります。所々に舗装されたルートもある山の辺の道にあって、この辺りはいかにも”古道”といった雰囲気に満ちています。
檜原神社の三ツ鳥居。
新調された三ツ鳥居が神々しく映ります。大神神社拝殿奥の三ツ鳥居は普段見ることができないのですが、こちらの三ツ鳥居はいつでも拝観可能です。稀に見るスタイルの鳥居は一見の価値がありますね。
再び玄賓庵の境内。
ガラス戸に囲まれた護摩堂にも注連縄が張られ、紙垂が下がっていました。
その向こうには八大龍王を祀る祠と、三輪龍神の石碑が見えます。
この度は護摩供養を見学させて頂くという幸運に授かりました。
予定を合わせて出向いたわけではありませんでしたが、思わぬ出会いに感謝致します。
長々と続いた護摩祈祷も終わりました。
境内には南天の実が成っていますね。四方に垂れ下がっていた紙垂は、もう跡形もなく消え失せています。我先にと参詣客がお持ち帰りになられたようです。
護摩祈祷の後には、炉の中に手を入れる「火伏せ」という儀式もあるようなのですが、玄賓庵では行われていなかったように思います。一見荒行にも見えますが、修行を積んだ信者にとっては”さにあらず”なのでしょう。
本堂内には不動明王坐像の他にも、玄賓像、阿弥陀如来像、大日如来像などが安置されています。
<玄賓庵の拝観案内>
- 住所 :奈良県桜井市大字茅原373
- 開基 :玄賓僧都
- 宗派 :真言宗醍醐派
- 駐車場 :無し
- アクセス:JR三輪駅から徒歩30分