桜とため池@箸墓古墳

桜の逃げ足は速い。

そう思うと、居ても立ってもいられずに外出してみたくなるのは私だけではないでしょう。毎年見る桜のポイントには、ついつい足を伸ばしてみたくなります。桜井市三輪に住む者にとって、箸墓古墳の桜もそんな場所の一つです。

箸墓古墳

箸墓古墳を背景に開花する菜の花と桜。

菜の花と桜はやはり黄金のコンビですね。明日香村の石舞台古墳も菜の花と桜の名所になっていますが、ここ箸墓古墳でも黄色とピンク、それに墳丘の緑が重なって言うこと無しの光景が広がります。

箸墓古墳と桜

箸墓古墳と桜。

この角度からも、前方後円墳のくびれ部がはっきりと確認できますね。

箸墓古墳から国道169号線を挟んで、ちょうど向かい側には三輪そうめん山本さんの本社があります。大型観光バスがよく停まっているのを見かけますが、ちょっとした奈良みやげを買って帰るにはおすすめの場所となっています。

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ため池百選の箸中大池

箸墓古墳の周濠の一部である箸中大池。

実はこの箸中大池は「ため池百選」の中の一つに選ばれています。

ため池百選って?あまり聞き慣れない名前ではありますが、要するに日本国中で最も優れたため池に贈られる称号のようなものです。

溜池は全国で約21万箇所を数えるそうです。そんな数ある溜池の中から、農林水産省が生活への役割と保全の必要性を国民に理解してもらうために選定した100の溜池が「ため池百選」です。そこに箸中大池が名を連ねているわけですね。

箸中大池

箸中大池の手前に「あぶない!」の注意書きがありました。

池の水面には箸墓古墳の姿が映されます。向かって右側が前方後円墳の前方部、左側が後円部に当たります。箸墓古墳の遥か左奥には神山・三輪山を望みます。

三輪山と箸墓古墳が重なる素晴らしい景観ですね。これこそが、ため池百選に選出された理由なのかもしれません。古代の聖地三輪山と、大和政権発祥の地と目される纒向遺跡に佇む箸墓古墳。これ以上には無い歴史の深さを感じさせます。

箸中大池

ため池というだけあって、ここで水の量が調整されているのかもしれません。

昔から大和の地は降雨量が少なかったため、環濠集落の水なども生活用水に使われていたと言います。今も奈良県内には数多くのため池がありますが、ため池百選に選ばれているのは桜井市の箸中大池と、斑鳩町の斑鳩ため池だけのようです。

箸墓古墳

箸中大池の畔に道が付いています。

この場所だけ道幅が広がっており、箸墓古墳を訪れる人への配慮が感じられます。

右手奥に桜並木が見えていますね。

この場所からでは急な土手になっていて、桜の木の下に下りて行くのは難しそうです。間近で桜見物を楽しみたい方は、三輪そうめん山本さんの駐車場から奥へと入って行くルートがおすすめです。ちょっと足場は悪いですが、間近に花見が楽しめます。

箸中大池の畔

箸墓古墳を背にして振り返ります。

桜の木の下には菜の花も咲いていました。

箸墓古墳

大坂山の有名な歌ですね。

大坂に 継ぎ登れる 石群(いしむら)を 手越し(たごし)に越さば 越してむかも

大坂山とは奈良と大阪の県境にある二上山のことを指しています。二上山の石を昼は人が、夜は神が運んで箸墓古墳を造ったと言い伝えられます。大坂山に人々が並んで登り、たくさんの石を手渡していけば渡せるだろうかなぁという意味になります。

手越し(たごし)とは、手から手に次々と渡すことを意味しています。

箸墓古墳と菜の花

鮮やかな菜の花が箸墓古墳を彩ります。

箸墓古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかと噂されますが、現在は宮内庁管轄の陵墓に指定されています。崇神天皇の叔母に当たる倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されており、立ち入りは禁止とされます。

いつもは立ち入りが許可されていない箸墓古墳ですが、その封印が解かれた時があります。

2013年2月に実施された立ち入り調査の際には、上空を飛び交うヘリコプターの音も相まってボルテージは最高潮に達しました。箸墓古墳まで足を運んで、歴史的瞬間を共有させて頂いたのをつい昨日のことのように思い出します。

大坂山

「大坂に継ぎ登れる・・・」

箸墓古墳から東へ上がって行くと、元伊勢の檜原神社が鎮座しています。春分と秋分の日には、檜原神社から見る日の入りがいつも話題に上ります。檜原神社から真西の二上山に沈む夕日は、数多くのカメラ愛好家たちの心を捉えて離しません。

桜と菜の花

春にはこんな光景も広がっているのです。

厳密に言えば、箸墓古墳に花が咲いているわけではありませんが、美しいフォルムを描く箸墓古墳を背景に桜や菜の花を楽しむことができます。

桜

毎年愛でる桜ですが、いつ見てもいいものです。

倭迹迹日百襲姫命は聡明で、物事を予知する能力を備えていたと伝えられます。ある時は臣下による謀反の気配を察知し、天皇に助言して事なきを得たとも言われます。このお墓は卑弥呼を葬るのか、あるいは倭迹迹日百襲姫命なのか、その真相は未だ謎に包まれたままですが、いずれにしても霊的パワーを持った人物の墓であることに違いはなさそうです。

箸墓古墳の風景

三輪山麓に広がる初瀬川と巻向川に挟まれたエリアを「瑞垣郷」と言います。

古来より神聖な場とされ、瑞垣郷の中にお墓を作ることはご法度とされました。そう言われてみれば、箸墓古墳も瑞垣郷を外し、巻向川の外側に築かれていることに気付かされます。何か意味があるのでしょうか。

奈良県桜井市を訪れたなら、箸墓古墳は是非とも見学して頂きたい場所の一つですね。

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