両国小学校の脇に日露戦争を偲ばせる錨が置かれています。
駆逐艦「不知火」の錨のようです。
よく神社の境内で戦争の遺品を目にすることはあるのですが、道路脇にそれとなく展示されているのは珍しい光景です。
駆逐艦「不知火」の錨。
ストックアンカーと呼ばれる錨のようです。船を停泊させるために、水中に沈める鉄の錘(おもり)・・・駆逐艦とはいえ、かなり大きなものでした。
芥川龍之介文学碑のすぐ近くに展示
道路脇に置かれていますが、柵内にあることから両国小学校の敷地内なのでしょう。
校舎内に展示するのではなく、あえて一般の通行人が目にする道路脇に展示されています。すぐ傍の角には、芥川龍之介の文学碑がありました。
黒い柵内に展示されています。
ここから右へ回り込むコーナーに龍之介の文学碑があります。
駆逐艦とは高速力を持ち合わせた、動きの軽快な小型艦艇のことを指します。主に奇襲攻撃や船舶の護衛などを任務としていました。小型の軍艦だったとはいえ、その錨を目の前にするとやはり迫力がありますね。
錨の由来が案内されていました。
この錨は日露戦争(1904~1905)で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」のものである。
この艦は英国ソーニー・クロフト社製造・起工明治三十一年・進水三十二年・三百二十六トン・(艦長六十三・五メートル・五四七〇馬力・三〇ノット・火砲六門・発射管二基・煙突二基)の構造である。錨の裏側にあるアルファベットと1898の刻印は錨の製造年と推定される。
猶この錨は両国一丁目の鉄鋼業岡田商事(旧岡田菊治郎商会)が軍艦の解体作業で得たのを昭和の初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものである。
平成三年 月
両国(相生・江東)小学校同窓会
両国小学校に寄贈されたもののようです。
小学校側もこんなものを贈られても・・とも思うのですが、そこは教材としての代え難い価値があるのでしょう。
東京スカイツリーの影。
「不知火」の錨がある墨田区内には、人気の観光スポット・東京スカイツリーが聳え立ちます。観光の目玉であるスカイツリーに比べれば、訪れる人も少ない場所です。しかし、そんな穴場であればこそ得るものもあるのではないでしょうか。
こちらは、不知火の錨からも程近い場所にある鼠小僧次郎吉の墓。
回向院境内にあります。
鼠小僧次郎吉は稀代の盗人でありながら、庶民から絶大な人気を誇った実在の人物です。次郎吉の半生を脚色した狂言が人気を呼び、その名を不動のものにしました。その狂言作家こそが河竹黙阿弥です。
実は河竹黙阿弥終焉の地も、同じく両国エリア内にあります。
回向院のお墓はどれも特徴的で、見る者を飽きさせません。
魂を供養するお墓でありながら、どこか観光の要素をも感じさせます。駆逐艦の錨にも通じることですが、両国は実に懐の深い場所です。