明暦の大火で犠牲になった人々を供養する回向院。
境内には無縁仏も数多く祀られていますが、盗人で知られる鼠小僧次郎吉の墓もありました。犬や猫などの動物も手厚く供養され、言い方は適当でないかもしれませんが、回向院境内はさしずめお墓のテーマパークといった様相を呈しています。
鼠小僧次郎吉の墓。
相撲の歴史を語り継ぐ回向院の片隅にひっそりと佇みます。
最初にこの供養墓を見た時、右手の三角形の建物に目を奪われました。実は、左手のアーチ屋根の奥にある墓石が鼠小僧次郎吉の墓なのですが、どうしても三角帽子状の方に目が留まってしまいます(笑) なぜでしょうか?やはりゲゲゲの鬼太郎に出てくる ”ねずみ男” の頭巾姿が連想されるのでしょう。鼠小僧次郎吉とねずみ男は全く関係が無いのですが・・・
お前立ちの墓石を削って祈願
鼠小僧次郎吉の墓には、興味深いものが置かれています。
墓石の前に置かれた「お前立ち」です。通常はお前立ちと言えば、秘仏の御前に置かれる仏像のことを意味します。特別開帳の期間以外は固く閉ざされた厨子の中に収まる御本尊様。その代役として、普段から参拝客に姿を晒しているのがお前立ちです。
そんな「お前立ち」の名を借りた不思議な石。
白くて柔らかそうな石が、鼠小僧次郎吉の墓石前に置かれていました。次郎吉のシルエット付きの案内板にも、” こちらの「お前立ち」をお削り下さい ” と記されています。白石の表面があちこち削られ、信仰の深さが感じられますね。
なんだか教会のような、それでいて盗人のほっかむりのようなフォルムです(笑)
中が気になりますが、残念ながら確認することはできませんでした。
「鼠小僧之墓」とだけ記されています。
抜き足差し足忍び足ですね。
墓石の前。
アーチ形屋根の下に当たります。削り石の御前には、浄財集めの賽銭箱が置かれていました。
敷地のすぐ外にはビルが建っています。
さすがにここは東京ですね。
墨田区民俗文化財指定の鼠小僧供養墓。
江戸時代に河竹黙阿弥が著した鼠小僧のお話・・・当時の当り狂言の一つであったことが記されます。
碑の正面には「天保二年八月十八日」「俗名中村次郎吉之墓」
『教覚速善居士』『道一書』
裏面には「大正十五年十二月十五日建立」
左側には「永代法養料金 五拾圓也 細川仁三」と刻まれる鼠小僧は寛政9年(1797)生まれの実在の盗賊であり「武江年表」によると天保3年(1832)8月19日に浅草で処刑されている。
「甲子夜話」によれば、武家屋敷にのみ押し入ったため、庶民からは義賊扱いされていた。後に幕末の戯作者・河竹黙阿弥が権力者である大名家に自在に侵入し被権力者側でも盗んだ金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出したことから人気に・・・
鼠小僧次郎吉は江戸時代後期の化政期に活躍した義賊です。
本業は鳶職と伝わりますが、大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯としてその名を轟かせています。
削る道具は何なのか?
まさか素手で削るわけでもないでしょう。
どうぞ御心配なく、その道具が白石の前に置かれていました。
コレです。
黒い小石を使って、削っていくようです。
それにしても、なぜこのようなお参りの仕方が定着していったのでしょうか。
鼠小僧次郎吉の墓石のかけらを持っていると、いつの頃からか「賭け事に勝つ」「運が付く」などともに、受験生などには「するりと入れる」とご利益頼みが広まっていったと言います。そのため墓石を欠き取る人が後を絶たなかったとか・・・時を経て、墓前に欠き取り用の墓石が置かれるようになったといういきさつです。
つまり、墓石の身代わりというわけですね。
するりと入れるとは、よく言ったものです。
合格祈願に訪れる受験生も多いようで、受験シーズン前になれば、この白石もどんどん小さくなっていくのでしょうか。その頃に一度訪れてみたいものですね。
見事に凹んでいます。
削られた白石の粉なのでしょうか、台座の上が一部白くなっていました。
処刑によって最期を迎えた次郎吉ですが、庶民から愛されていたことがよく分かります。
比較的盗みに入りやすかったという大名屋敷をターゲットに絞った鼠小僧次郎吉。盗んだお金を貧しい庶民に分け与えもしたと伝えられますが、当の本人は否定しているようです。全てを遊興費に注ぎ込んだと告白していますが、これも庶民を巻き添えにしないための言い回しなのかもしれません。
市中引き回しの上、獄門の刑に処せられた次郎吉。引き回しにされる際は、多くの人々がその道沿いに集まったと伝えられます。
こちらは犬の供養墓でしょうか。
回向院は動物の霊を鎮める場所でもあるようです。
猫ですね。
そう言えば、先ほど手を合わせた鼠小僧次郎吉の墓の横にも猫塚がありました。
「愛犬供養」と刻まれます。
遠近法を使った面白い形のお墓ですね。
長年捕まらなかった次郎吉の運にあやかろうと、その墓石を削ってお守り代わりに身に着けていた人々のことを思います。盗人でありながら、庶民のヒーロー的存在であった次郎吉。厳しい封建社会に生きた人々の思いが、形を変えて今も引き継がれています。