あじさいの名所・久米寺の境内にある虫塚。
虫供養のために建てられた塚ですが、毎年6月末頃に虫霊法要が営まれる場所としても知られます。
「一寸の虫にも五分の魂」と申します。”虫けら” と軽んじていてはいけません。当然のことですが、虫たちにも命があるのです。二十四節気で言うところの啓蟄(3月6日)以降、土の中の虫たちが蠢き出し、今年もその営みは既に始まっているのです。
久米寺の虫塚。
久米寺の東側の門から境内に入ると、やがて右側に虫を弔う虫塚が見えて参ります。金色に輝く大日如来像の手前に位置しています。これから迎える虫たちの季節を前に、手を合わせておかなければならない場所ではないでしょうか。
農薬・薬剤関係者が集う虫霊法要
梅雨の季節に当たる6月後半に、虫塚と虫霊碑の前で法要が営まれます。
駆除される虫を弔うため、住職ら僧侶が読経する中、薬品関係の参列者が果物や花を供え手を合わせます。虫霊法要は奈良県虫霊碑奉賛会主催にて執り行われます。
夏は殺虫剤が活躍するシーズンです。
必要最低限の殺生は必要なのかもしれませんが、虫たちにとっては全く身に覚えのないことだと思われます。命を尊ぶという意味では、確かに心しておかなければならない日常の心掛けだと思います。
虫塚の手前右側に建つ顕彰碑。
25周年と記されていますね、左側に目をやると「奈良県植物防疫協会」とあります。聞き慣れない協会名ですが、久米寺の虫塚を建立した組織ということなのでしょうか。
蚊取り線香に始まり、ベープマット、フマキラー等々の殺虫剤がスーパーでも特設コーナーを設け始めています。農作業従事者が作物の成長を助ける農薬を買い求めるように、私たち一般庶民は蚊との戦いに備えます。
フマキラーの名前の由来は、「fly(ハエ) mosquito(蚊) killer(殺し屋)」だとされます。ハエ蚊退治と言えば聞こえはいいですが、フマキラーの語源に迫ると、何だかものものしい感じがしないでもありません(笑)
別格本山 霊禅山 久米寺の社号標。
ここから境内に入り、しばらくすると右手に虫塚が見えてきます。
久米寺で虫の意味を考える
そもそも虫という言葉には、いわゆる生物の虫以外にも、私たちに潜在する意識や考えなども含まれています。
虫の知らせなどは、はっきりとしたことは分からないのだけれども、なぜかそのことを第六感で感じる時によく使われます。間違っても虫が飛んで来て知らせてくれるわけではないのです。
「虫がいい」と言えば、身勝手で自分の利益だけに関心のある人を形容します。「虫の居所が悪い」と言えば、ちょっとしたことにも気が障り怒りっぽい状態にあることを意味します。「虫が好かぬ」は何となく気に食わない時に使われます。
虫にまつわる不思議な言葉の数々。
その潜在意識は概して悪しき事柄を招くようです。
多宝塔の手前に、日本民謡愛好の碑が建っていました。
生まれた当初から人体に棲み付いていると云われる虫。
勿論これは昆虫の虫ではなく、何となく私たちの中でざわつく「潜在意識の虫」です。
睡眠中に体内から抜け出し、その人の罪悪を天帝に知らせるという虫。道教の教えでは、人の腹中には三匹の虫が住んでいると言います。その人の隠ぺいによる過失も全てお見通しで、庚申の夜に睡眠中を窺って昇天し、その罪悪を告げると伝えられています。出来ることなら御免こうむりたい、三尺虫(さんしちゅう)と呼ばれる世にも恐ろしい虫です(笑)
庚申の夜に告げ口をすることから、未然に防ぐための庚申待(こうしんまち)という習俗も広まりました。
庚申の夜になると、仏家では帝釈天および青面金剛を、神道では猿田彦を祀り、寝ないで徹夜する習俗のことを庚申待ちと言います。その夜に眠ってしまうと、体内に居る三尺が人の睡眠に乗じて、その罪を上帝に告げるとも、はたまた人命を短くするとも言い伝えられています。
広義に虫供養を捉えるなら、私たちを不幸へ誘う三尺虫も供養しておきたいところですね(笑)
久米寺境内のお堂を散策
久米寺はかつて、立派な堂宇が建ち並ぶ大寺院であったと伝えられます。
現在の久米寺の伽藍を見てみると、大塔礎石以外に往時の面影は見る由もありませんが、小ぢんまりとした境内に幾つかのお堂が建てられています。
久米寺の金刀比羅宮。
多宝塔の手前に建つお堂です。石鳥居の上に小石がたくさん置かれていました。小さなお堂の手前左側には大きな木が立っています。
金毘羅さんと言えば、香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)を思い出します。香川の金刀比羅宮も、明治時代の神仏分離以前は真言宗のお寺であったそうです。久米寺は真言宗発祥の地とも謳われ、真言宗御室派(おむろは)の別格本山の位置付けです。
同じ真言宗の流れを汲むことから、境内に金毘羅さんが祀られているのでしょうか。
金刀比羅宮に供えられていました。
これは一体、何なのでしょうね。何かこう、金毘羅さんに謂れのあるもののような気がしてなりません。
長寿延命の福宝と書かれた幟がはためきます。
向こうに見えている建物は久米寺の本堂です。本堂内には、久米仙人が自らの髪の毛や歯をとどめたとされる久米仙人像が安置されています。
京都府京田辺市の酬恩庵一休寺にも、一休宗純が自らの髭などを埋め込んだという像が伝わります。今ではその髭はもう見られませんが、髭を植毛したであろう跡がはっきりと残されています。自身を生き写しのごとく反映した像を残した点では、久米仙人と一休さんに共通点を見出します。
地蔵納骨堂。
本堂向かって右手に位置しています。
こちらは観音堂。
東門から境内に入ると、一番最初にお目見えするお堂です。
虫塚と金色の大日如来像を右手に見ながら歩を進めると、真正面に本堂の横側が姿を現します。左手に目をやると、あじさい園を示す案内板が出ており、観音様が安置される観音堂が視界に入ってきます。
阿弥陀堂。
新しい建物のようです。観音堂と反対方向、近鉄南大阪線の線路方面へ足を向けると、すぐ右手に現れるお堂です。均整の取れたお堂で、扉両側の花頭窓が印象的です。
三宝荒神。
阿弥陀堂からさらに線路方向へ歩いて行くと、程なく右手にあるお堂です。
三宝荒神と言いますから、竈の神様が祀られているのでしょうね。
久米寺の露天仏像と手水処
久米寺の御本尊であらせられる天得薬師瑠璃光如来坐像や、人気の久米仙人像を拝観するには拝観料が必要になりますが、久米寺境内には拝観料無しで拝める仏像もあります。そんな仏像を幾つかご案内致します。
金色に輝く大日如来像。
三宝荒神から境内へ戻って、露天の大日如来様の前に進み出ます。
背後に見えているお堂は阿弥陀堂です。
御前に活けられた蓮が天に向かって伸び、太陽の光をいっぱいに浴びた仏様です。
左手の人差し指を右手で握る印相は智拳印ですね。智徳の金剛界にいらっしゃる大日如来像であることが分かります。全ての仏を統括すると言われる大日如来。全ての如来や菩薩の根源となっている偉大な存在です。
如来の中で唯一、菩薩の姿で表現されるのが大日如来です。
質素な雰囲気の如来の中にあって、確かに大日如来にだけは宝冠が見られます。着飾った大日如来に親しみを覚える参拝客も多いのではないでしょうか。
大日如来坐像の向かって左手に、計5体の石仏が祀られています。
真ん中の3体は比較的新しい仏像のようですね。
向かって左側に不動明王、一番右側はお地蔵様でしょうか。
天辺が前に突き出た光背を背にし、左側から薬師如来、観音菩薩、大日如来が並んでいます。
それぞれの仏像の前で手を合わせます。
久米寺の手水処。
ずいぶんユニークな手水ですね。
背後に見えている建物は、久米寺の護国道場です。練供養の際には、本堂まで長い橋が架けられることで知られます。参拝当日は葬儀が執り行われていたのか、喪服姿の方を数人見かけました。
それにしても種種雑多、まとまりの無い印象は受けますが、一度見たら忘れられないインパクトを持った手水です。
口の長い魚に、鋭い歯を持ったワニでしょうか。
折り重なるように、久米寺の本堂方向を向いています。
甲冑に身を包んだ仏様?
頭には螺髪が見られます。乗り物に乗って操縦しているようにも見えます(笑) 大きな鯉の背中に乗って、どこかを目指しているのでしょうか。
う~ん、益々分かりません。
龍の口からお水がちょろちょろ流れ出る手水を見慣れているせいか、その隔たりの大きさに戸惑います(笑) エキゾチックな雰囲気を醸す久米寺の手水に、しばし時を忘れて見入ります。
仏様の背後に居るのは鶏でしょうか。
頭の上にトサカが確認できますので、やはりこれは鶏なのでしょう。さらにその鶏の胸部から魚が二尾、しかも小さい方の魚が大きい方の魚に呑み込まれようとしています。何とも解説泣かせの手水です(笑)
近鉄南大阪線の線路近く、橿原神宮へと通じる久米寺の門です。
真言宗根本道場と刻まれています。
あじさい園で紫陽花が見頃を迎えるころ、久米寺の境内では虫を供養する法要が営まれます。本格的な夏を前に、是非一度足を運んでみられることをおすすめ致します。