私たちは「しょっちゅう」という言葉をよく使います。
あの子、しょっちゅうテレビ見てる・・・という感じで日常的に使う「しょっちゅう」ですが、実は仏教語に由来しているんです。
仏の教えを広める活動の最中、お釈迦様は60人の弟子の前でこうおっしゃったと伝えられます。
「弟子たちよ、汝らは世の束縛を脱して、心の自由を体得した。これからは世の人々の利益と幸福のために諸国を遍歴せよ。二人して一つの道を行くな」。
仏教語が転訛した「しょっちゅう」
似たような言葉に「四六時中」がありますが、「しょっちゅう」の方がより口語的です。
普段使いとしては「しょっちゅう」に軍配が上がるでしょう。
二人して一つの道を行くな、なんて現代でも通用する格好いいお言葉ですよね。
お釈迦様は弟子たちに「初め善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現を兼ね備えた法を説け」と諭されたそうです。この 初中終 が訛って「しょっちゅう」になっていったようです。
言葉は歴史と共に変化していきます。
レモネードがラムネに転訛した話は有名ですが、私たちが普段何気なく使っている「しょっちゅう」という言葉の歴史に触れ、感慨も新たにした次第です。
気になるのは、「しょっちゅう」という言葉が使われるシーンですね。
どちらかと言えば、悪い意味で使われることが多いようです。
物事に食傷気味になってしまった時に、その対象に対して「しょっちゅう」という言葉を使っていることに気付きます。
仏の教えを広める際に使われた言葉です。
しょっちゅうの由来は”転法輪”にあるわけですから、良い意味でもどんどん使っていきたいものですね。