元興寺極楽坊の本尊・智光曼荼羅。
智光曼荼羅とは、奈良時代の三論学僧・智光法師が感得した浄土変相図のことです。
智光曼荼羅の原本は既に焼失してしまいましたが、大型板絵本や厨子入絹本を今に伝えます。浄土信仰の根付く元興寺にあって、極楽坊はいつしか本堂としての役目を担うようになりました。
元興寺極楽坊と蓮。
蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺を前身とします。
行基葺の瓦屋根が美しい「世界遺産の寺院」として人気を誇ります。東大寺や興福寺に比べ、境内はそんなに広くはありません。しかしながら、数多くの寺宝を残すお寺であり、訪れる価値のある場所だと思われます。
厨子入智光曼荼羅と元興寺極楽坊縁起絵巻@法輪館
元興寺の収蔵庫である法輪館において、極楽坊縁起絵巻と厨子入智光曼荼羅が特別公開されていました。
厨子入智光曼荼羅は室町時代の転写本で、国の重要文化財に指定されています。残念ながら正本の智光曼荼羅は、宝徳3年(1451)の土一揆により禅定院にて焼失しています。
厨子入智光曼荼羅。
曼荼羅前方の床面には、金蓮舎利容器を安置した痕跡があったようです。
厨子の両扉に描かれる四天王像が、その舎利を守護するかのように表現されています。
国宝極楽坊本堂(極楽堂または曼荼羅堂)
この堂は元興寺東室南階大坊(僧坊)の一部であり、本邦浄土六祖の第一祖である智光法師が感得した浄土曼荼羅を本尊とし寄棟造に大改築された極楽坊本堂である。
極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれ、智光の住房が前身という。古来浄土発祥の聖堂として名高く、内部柱に念仏講の寄進文がある。堂の外観は寛元2年(1244)改修時の姿であるが、内陣に奈良時代僧坊の身舎部を残し、西流れの屋根に見る行基葺古瓦は当時の前身飛鳥寺から移建の際に運ばれたものである。
極楽坊安置の智光曼荼羅は、どうやら板絵のようです。
庶民の篤い信仰に支えられて繁栄した元興寺ですが、平安時代後期以降は衰退の一途をたどります。極楽坊以外の建物は焼失してしまったようです。そんな中でも極楽坊だけは、庶民の篤い支持を受け続けました。
収蔵庫の法輪館。
館内1階には、国宝の五重小塔が展示されています。
奈良市内の海龍王寺でも五重小塔を拝観したことがありますが、まさか元興寺にも収蔵されていたとは正直驚きでした。往時の西塔に当たるそうで、奈良時代最盛期唯一の五重塔として知られます。
元興寺総合収蔵庫
第一収蔵庫
国宝五重小塔(建造物)奈良時代 重文智光曼荼羅(板絵)平安時代 重文阿弥陀如来坐像 平安時代 重文聖徳太子立像(孝養像) 鎌倉時代 重文弘法大師坐像 鎌倉時代
第二収蔵庫
重要有形民俗文化財 元興寺庶民信仰資料 鎌倉・室町時代 (千体佛、板絵、印佛、こけら経、蔵骨器納骨塔婆、物忌札等 65,395点)
元興寺の収蔵庫には、中世庶民の信仰遺物や仏像など数万点を数える寺宝が収められています。
1階には五重小塔をはじめ、仏像や瓦が展示されています。2階とさらにその奥には、庶民の信仰遺物が所狭しと並んでいました。まさに法輪館は浄土信仰の宝庫でした。
浮図田と収蔵庫(法輪館)。
智光は奈良時代の終わりに活躍した学僧です。
亡くなった学友の僧・頼光が極楽往生しているのを夢で見て浄土信仰に目覚めたと伝わります。晩年には浄土教の研究に専念し、日本最初の浄土教研究家として知られました。
中世には浄土信仰のみならず、地蔵信仰や聖徳太子信仰も栄えたと言います。
さらには弘法大師の真言信仰なども入り混じり、渾然一体となって庶民に愛された元興寺。
名物の桔梗が収蔵庫前にも咲いていました。
貴重な資料が集まる元興寺には、調査保存のための元興寺文化財研究所が置かれています。今や全国各地の文化財保存、修復、調査を手掛ける民間唯一の研究機関として活動を続けます。
”鬼も喜ぶしかまろくん元興寺スタンプ”。
極楽坊と禅室のつなぎ目がクローズアップされていますね。極楽坊も禅室も共に国宝建築物で、お互いにつながっています。同時期の創建と目され、どちらも僧坊とされます。行基葺の屋根瓦が見所ですね。
国宝五重小塔の写真。
実に精巧な造りです。
元興寺の境内図。
拝観受付に貼られていました。
北門近くの蛙石も案内されていますね。法輪館の中が「1~3階」と記され、3の数字が書き換えられているようです。館内は複雑な構造で、2階からさらにその奥にスペースがあったのですが、どうやらそこを3階と書き改めているのではないでしょうか。
元興寺の絵葉書。
仏像の絵はがきで、8枚1組400円で販売されていました。
弘法大師坐像、平安時代初期の半丈六阿弥陀如来坐像、耳元で髪を束ねる聖徳太子立像などが写っています。収蔵庫の中では、元興寺極楽坊縁起絵巻も展示されていました。鮮やかな色彩の絵巻物で、浄土世界を堪能することができました。
観光スポットとしては地味な印象の強かった元興寺ですが、その寺宝の多さに圧倒されました。さすがは世界遺産、なかなか奥の深いお寺です。