外護列石が残る西峠古墳@宇陀市榛見が丘

桜井市から宇陀市にかけて多く見られる磚積式石室。

長谷寺から宇陀市街地へと抜ける西峠付近に、移築された磚積式石室があるとの情報を得て向かってみることに致しました。移築保存の古墳ということで、少々探検気分には欠けますが十分見学に値するものでした。

西峠古墳の横穴式石室

西峠古墳の石室。

元は100mほど西にあったようですが、宅地造成により榛見が丘の「いのたに公園」内に移築されています。井之谷遺跡群で発掘された方墳で、かつては周溝を巡らせていたそうです。

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榛原石で築造された横穴式石室

埋葬施設は横穴式石室で、榛原石をレンガ状に積上げて造られていました。

宇陀市の西峠は、今も重要な交通の要衝です。

西峠の四つ辻からはそれぞれ鳥見山公園、うだアニマルパーク、長谷寺、墨坂神社、室生寺などへと通じています。桜井市街地から国道165号線を長谷寺、吉隠、西峠と走ります。西峠古墳へのアクセスは、峠の四つ角を超えてさらに榛原駅方面へ向かい、一つ目の交差点を右折します。そして程なく右手へ上がって行った所にあります。

西峠古墳の横穴式石室

西峠古墳の横穴式石室玄室。

レンガ状の榛原石が巧みに積み上げられていますね。天井石はかなり大きな石が使われ、玄室内には持ち送りも見られました。

榛原石

流紋岩質凝結凝灰岩(りゅうもんがんしつ ぎょうけつぎょうかいがん)と案内されています。

俗に言う榛原石のことですね。

開口部手前の入口付近には、短い石列(外護列石)が確認できるようです。

西峠古墳の外護列石

この部分でしょうか。

外護列石(がいごれっせき)とは、要するに石垣のようなものです。

西峠古墳の外護列石

邪悪なものを祓う結界だったのでしょうか。

西峠古墳の見学では石室の中に入ることができません。しかしながら、この外護列石が見られるだけでも満足ですね。

西峠

東側から西峠を撮影。

県内でよく見られるようになりましたが、どうやらここもサイクルロード(ならクル)のコースになっているようです。かなり傾斜のある坂道ですが、自転車愛好家にとっては心躍るルートなのかもしれません。

西峠の案内板

西峠の案内板。

西峠から長谷寺方面へ少し下った所にありました。

西峠の住所は、宇陀市榛原角柄(つのがわら)になるようです。案内板にもありますが、峠は「手向け(たむけ)」にも通じているようです。かつては別れの場所だったのでしょう。疫病の侵入を防ぐためにお地蔵さんが祀られたのも峠でした。長い年月の間に、数々のドラマが刻まれたであろう ”峠” 。

伊勢本街道

この道は伊勢本街道でもあるようです。

お伊勢参りで賑わったかつての情景が目に浮かびますね。

さて、西峠の案内板から再び上手の西峠へと舞い戻り、大型店舗コメリの背後に広がる榛見が丘の住宅地を目指します。

はるみがおか

榛見が丘の新興住宅地へと入って行きます。

国道から一歩足を踏み入れれば、そこには今まで見たこともない景色が広がっていました。おそらく周辺住民の方しか往来はないものと思われます。高台に位置しているためか、背後の山々も実に綺麗に映えます。

榛見が丘2丁目

西峠古墳のある榛見が丘2丁目付近に辿り着きました。

どうやら行く手左側に広がる緑が目的地のようです。

いのたに公園

ありました、いのたに公園

公園入口からも横穴式石室の開口部が見えています。

西峠古墳

背後の山々を借景にする西峠古墳。

公園から道を挟んですぐ前には民家が密集しています。半ば予想はしていましたが、近隣住民の憩いの場に移築されていました。

西峠古墳の横穴式石室

柵越しではありますが、十分に石室内部を見学することができます。

ひのき坂にあった奥ノ芝2号墳は、開口部までのアクセスに少し手間取りました。その点、西峠古墳の場合は至って簡単です。繁茂する草木もなく、古墳探索にありがちな陰湿な雰囲気も一切感じられません。脆いと言われる磚積式石室ですが、見事に移築保存に成功しているのではないでしょうか。

西峠古墳

しかし、どのようにして移築されたのでしょうか?

素人ながらに興味が湧きます。

一度解体されているのでしょうか?はたまた、JR奈良旧駅舎のように曳家工事(ひきやこうじ)で移されてきたのでしょうか(笑) 起伏のある場所だけに、さすがにそれは無理かと思うのですが・・・古墳の移築方法ってあまり知られていませんよね。

西峠古墳

見晴らしのいい場所です。

より多くの人に見てもらう機会は得ているでしょう。

その一方で、現地保存の尊さも感じないわけにはいきません。

井之谷遺跡群

井之谷遺跡群の解説パネルもありました。

西峠古墳のふるさとですね。

西峠古墳

西峠を下って榛原駅方面へ向かうと、やがて神武天皇ゆかりの墨坂神社へとアクセスします。

墨坂は大和平野の東端・隅坂を意味します。

平野部に別れを告げる坂であり、ちょうど大和平野の東の隅っこに位置しています。

古来より交通の要衝として重要視されてきた場所です。西峠古墳はそんなエリアにあったことを忘れてはなりませんね。

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