楠公誕生地遺跡!千早赤阪村で楠木正成を偲ぶ

千早赤阪村の村立郷土資料館の前に、楠公誕生地遺跡があります。

楠公(なんこう)とは明治以降に「大楠公」と称され、建武の新政で名を馳せた楠木正成のことです。鎌倉末期から南北朝時代にかけての武将ですよね。私の中では、皇居外苑に建つ銅像のイメージが強い偉人です。

楠公誕生地遺跡

楠公誕生地の石碑。

資料館の周りには、くすのきホールや道の駅ちはやあかさかもあります。広い駐車場も完備され、ここを拠点に建水分神社や赤阪城跡に出向くのもいいと思います。

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桜井の別れ!湊川の戦に赴く楠木正成を描く『太平記』

楠木正成と言えば、息子との訣別を描いた「桜井の別れ」が有名です。

湊川の戦に赴く前、楠公は数え年11になる嫡子を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と諭しました。死を覚悟していた楠公は、共に行きたいと言う息子を残す決断を下します。その形見として、かつて帝より下賜された菊水紋の短刀を授け、今生の別れを告げたと言います。

楠公誕生地遺跡

楠公誕生地の石標。

「桜井の別れ」に登場する西国街道の桜井駅ですが、摂津国島上郡(現在の大阪府三島郡島本町)に置かれた大原駅ではないかと伝わります。

「至誠一貫」楠木正成公碑

「至誠一貫」と刻みます。

建水分神社でも見た菊水紋ですね。騎乗する楠木正成の姿が、皇居外苑の銅像と重なります。

手綱を引きながら馬を制し、頭を下げて拝礼しようとする楠公。配流地の隠岐の島から戻った後醍醐天皇を、兵庫の道筋で出迎えたときの勇姿なんだそうです。深い絆で結ばれた後醍醐天皇と楠木正成を見事に表現していますね。

桜井の別れ

これはおそらく「桜井の別れ」を表す石像でしょう。

右が楠木正成で、左は嫡子の正行だと思われます。

楠公父子桜井駅の別れ

楠公父子桜井駅の別れ。

千早赤阪楠公史跡保存会による名場面のプレートです。

くすのきホールと駐車場

くすのきホールと駐車場。

中には図書館もありました。くすのきホールはコンサートなども催されるイベント会場のようです。

駐車場周りの奉納石

駐車場の周囲はフェンスで囲われ、奉納石が並んでいました。

千早赤阪村立郷土資料館の甲冑

資料館の壁際に、甲冑がディスプレイされています。

元弘の乱において後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携した楠木正成。千早城の戦いでは大軍勢の鎌倉幕府軍を引きつけ、日本全土での反乱を誘発したと伝わります。鎌倉幕府打倒の狼煙が上がった場所と言えるでしょう。

楠公誕生地遺跡の案内板

楠公誕生地遺跡の案内板。

ここは楠木正成公が生誕したという伝承の残る地です。

現在この地に残る石碑は、明治8年(1875)2月8日に大阪会議で来阪していた大久保利通が、楠公に関係する史跡をめぐった際に、同行していた堺県令・税所篤(ざいしょあつし)へ整備を命じて建てられたものです。それ以前にも、文禄年間に豊臣秀吉が増田長盛へ整備を命じて土壇を築き、建武以後の楠木邸にあった百日紅を移植したという記録や、元禄年間に領主石川総茂が保護を加えたという記録が残っています。

くすのきホール建設に伴い発掘調査を行った際には、2重の堀を周囲にめぐらせる建物跡を検出、出土遺物も14世紀のものが認められ、周囲の中世山城群とあわせて考えると、楠木氏との関連も推定することが可能です。また付近には、楠公産湯の井戸の伝承地も残ります。

正面に見えるのは、千早赤阪村立郷土資料館の玄関口です。

後世の偉人たちにも影響を与えた大楠公。時代を経てもなお、重ねて顕彰したくなる人物なのでしょう。

楠公誕生地遺跡

石燈籠を従え、壇上に祀られる石碑。

左脇に小さなお堂があります。

楠公誕生地遺跡

合掌礼拝しましたが、中身が何なのかはよく分かりませんでした。

楠公史蹟河南八勝第七蹟

楠公史蹟河南八勝の第七蹟に当たります。

おそらく楠木正成ゆかりの地が、周辺に8つあるのでしょう。ちなみに千早城は第四蹟のようです。

楠公生誕地の周辺地図

楠公誕生地の周辺地図。

楠公産湯の井戸、奉建塔、南木神社(御祭神・楠木正成)などが案内されています。

くすのきホールの額絵

くすのきホールの館内に掲げられた額絵。

勇ましい姿がよく似合います。

楠公生誕地の自動販売機

駐車場隅にある自動販売機。

中世のサムライヒーロー楠木正成。楠公さんを大河ドラマに!と記されています。

千早赤阪村には絵になる風景が多いですから、ドラマの誘致も面白いでしょうね。フィルムコミッションには応援の意を表したいと思います。

笹川良一の石碑

おっ、これは笹川良一氏の石碑。

これを見ても、楠木正成が歴史的評価の高い人物であることがうかがえます。

私がまだ幼い頃、祖父に連れられて初めて東京の地を踏みました。楠公の銅像前で記念写真に収まる幼い自分・・・亡くなった祖父と共に、幼児期の貴重な写真として脳裏に刻まれています。

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