神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)とは?
聞き慣れぬ菩薩の名前ですが、これは修験道の祖と仰がれる役行者の諡号(しごう)です。
生前の行いを尊び、死後に贈られるのが「諡号」です。故人の生前の徳を讃えて贈る称号であり、贈名(おくりな)とも呼ばれます。
誠心院の神変大菩薩像。
京都新京極にある和泉式部ゆかりの誠心院に役行者が祀られていました。「水かけの行者さん」と刻まれていますね。どうやら水を掛けて祈願する慣わしのようです。両脇には前鬼・後鬼を従え、高下駄を履いて居座ります。
光格天皇から賜った諡号
そもそも役行者は奈良時代に生きた人です。
本名を役小角と言い、奈良の葛城山に住んで仏道修行に励んでいました。吉野の金峯山や大峰山を開いたことでも知られます。
今も奈良県御所市の吉祥草寺には、役行者の産湯の井戸が残されています。そんな役行者が活躍した奈良時代から数えること1,000年、江戸時代になってから贈られた名が神変大菩薩だったのです。
誠心院本堂。
真言宗泉涌寺派に属する誠心院。御本尊は阿弥陀如来像とされます。
役行者がこの世を去り、千年を経た1799年に光格天皇が聖護院に勅使を出し、宗祖である役行者に「神変大菩薩」の名を贈ったとされます。随分長い年月を経てからの諡号(しごう)です。
錫杖を手にする神変大菩薩の両脇には、前鬼と後鬼が陣取ります。
前鬼と後鬼は夫婦の鬼で、向かって右側が夫に当たる前鬼(赤鬼)で鉄斧を手にします。一方左側の後鬼(青鬼)は霊力のある水の入った水瓶を持ちます。陰陽を表すという前鬼と後鬼ですが、吉水神社書院の役行者像にも付き添っていたことを思い出します。吉野山の吉水神社では、向かって右側の鬼が水瓶らしきものを手にしています。どうやら前鬼と後鬼の並びは、決して一様ではないようですね。
菩薩と言うからには、未だ悟りに至っていない御姿なのでしょう。
高下駄を履いて今にも立ち上がらんとするその姿勢から、衆生に近い位置におられることを思います。神変大菩薩の名前を、この機会に是非覚えておきましょう。