大徳寺参拝の際に気付いたことがあります。
たくさんある大徳寺境内の塔頭寺院ですが、拝観できる寺院の数は限られているということです。
今回拝観させてもらった瑞峯院のパンフレット地図によれば、拝観寺院は斜線で表されており、瑞峯院、高桐院、大仙院、竜源院の4つが拝観寺院として案内されています。特別公開の時期には他の塔頭寺院も拝観できるようですが、通常時の拝観が許されているのは瑞峯院をはじめとする4つの寺院のみです。
拝観謝絶の大徳寺三玄院。
拝観謝絶の札が掛けられ、Private と記されています。拒絶を意味する Refusal でない分だけ、まだやんわりとした印象を受けますが、やはり拝観謝絶という言葉にはどこかよそよそしさを感じてしまいます(笑)
石田三成の墓がある大徳寺三玄院
大徳寺総門から大徳寺境内に入り、右手に三門を見ながら直進し、行く手の二又に分かれる岐路を右折します。
右手には三門、仏殿、法堂などの大徳寺の中心伽藍、左手には正受院、三玄院といった大徳寺塔頭寺院が建ち並びます。三玄院の門前に来た所で、石田三成の名前が刻まれた石碑が視界に入って参りました。どうやら石田三成のお墓がこの場所にあるようです。
三玄院前に建つ石碑。
関ヶ原の戦いで夢破れた石田三成。徳川家康が目の敵にしていた武将ですよね。
徳川家の支配する江戸時代には、石田三成の墓は許されざるものとして忌み嫌われていたようです。そのため、三成の墓は土に埋められ、人目に付くことはありませんでした。明治時代も末になって、ようやく関西の実業家である朝吹英二氏が陽の当たる場所に改葬したという記録が残されています。
大徳寺三玄院の案内板。
案内板に目を通すと、一度拝観してみたい気になりますね。
今回の旅の目的である今宮神社を目指して、三玄院から大徳寺本坊、聚光院、総見院へと足を運びます。
右手に現れた大徳寺総見院も拝観謝絶のようですね。
立派な唐破風の総見院正門。
こういう門構えを見ると、京都の歴史的寺院を訪れているんだなと改めて感じます。
正門の前に「信長公廟所」と刻まれた石碑が建っていました。
織田信長のお墓も大徳寺にあるの?と思わず独り言をつぶやきます。数年前に本能寺境内で織田信長のお墓を拝観いたしました。織田家の家紋で知られる織田木瓜紋に飾られた信長公廟。歴史的人物にもなると、お墓もあちこちに建てられるのかもしれませんね。
ちなみに大徳寺にある信長のお墓は、秀吉の権威をアピールするために建てられたものです。織田信長亡き後、「次なる権力者」をアピールするために信長のお墓を建てる必要があったというわけですね。
「当院は拝観出来ません」。
大徳寺境内にある塔頭寺院の多くが拝観をお断りしています。