山の辺の道から300m程東へ登って行った所に鎮座する穴師坐兵主神社。
その境内に、作者未詳の万葉歌碑が建てられています。
穴師坐兵主神社の万葉歌碑。
参道沿いの美しい紅葉で知られる神社ですが、普段は人影もまばらでひっそりと静まり返っています。
みればかしこみねばかなしもの万葉歌碑
山の辺の道沿いには数多くの万葉歌碑が建ちます。
歌の意味が分からない。どう解釈すればいいのか分かりづらい、などというお声をよく耳にします。確かに古語で記された万葉歌の意味を理解するのは少し難しいかもしれません。しかしながら、一旦分かってしまえば、なるほどと思うような歌がほとんどではないでしょうか。
穴師坐兵主神社。
好きな人の前では目も合わせられない。でも、想いは募るばかり・・・
誰もが経験したことのある心情が歌われています。
あまくもに ちかくひかりて なるかみの みればかしこ みねばかなしも
歌の解釈はこうです。
天雲の近くで光って鳴る雷のように、あの方にお逢いすれば畏れ多くて近寄れず、お逢いしなければ悲しいのです。「みればかしこ」の「かしこ」とは、形容詞「畏し(かしこし)」の語幹で、畏れ多いことを意味しています。畏れ多い、もったいないといったニュアンスが含まれます。
穴師社。
自然現象の雷は、古代の人たちには「神鳴り」として捉えられていました。近寄り難いほどに好きな人が、空の雷鳴に例えられています。
天照大神の御霊代(みたましろ)としての八咫鏡(やたのかがみ)が祀られている場所を賢所(かしこどころ)と言います。恐れ多くて畏まる所という意味から、賢所と呼ばれています。「みればかしこ」の意中の人は、天照大神にも匹敵するぐらいの存在なのかもしれませんね。
私たちがよくお客様からの要望に対して、「はい、かしこまりました」。と言っていますが、この「かしこまりました」という表現も、「畏まる(かしこまる)」という言葉に由来しています。
あくまでも相手が上の位置に居ます。
謹んでお受け致します、といったニュアンスでしょうか。
本殿向かって右手の薄暗い場所に、明治神宮遥拝所がありました。
近くには小さな池もあり、どことなく湿気の感じられる場所です。
穴師坐兵主神社の下手には、摂社の相撲神社が鎮まります。
大相撲界では、大阪府寝屋川市出身力士の豪栄道が大関昇進を果たしました。モンゴル勢が席巻する相撲界に、日本人力士として一矢報いる活躍が期待されます。あの大鵬や柏戸が土俵入りを奉納した相撲神社(桜井市)が、穴師坐兵主神社の下手に鎮座しています。