建国記念日の2月11日に催される砂かけ祭で有名な広瀬神社。
西名阪自動車道の法隆寺インターチェンジからほど近い場所に佇む古社で、その創建は崇神天皇の御代まで遡ります。
広瀬神社の絵馬。
朱色の両部鳥居をくぐると、右手に神馬が奉納されていて、その傍らに広瀬神社の絵馬が掲げられていました。砂かけ祭とは、要するに御田植神事(おんだ祭り)のことを意味しています。境内で牛、田人、参拝客が入り乱れて砂を掛け合う奇祭として知られる砂かけ祭。砂は雨を象徴しており、そこには雨乞いの意図が感じられます。
和加宇加之売命を御祭神とする広瀬神社
広瀬神社の御祭神は、保食神の和加宇加之売命(わかうかのめのみこと)です。
衣食住並びに農耕の神、特に水を司る神として崇められています。風の神の竜田神社、水の神の広瀬神社として古来より崇敬を集めています。
広瀬神社の御祭神が案内されています。
一の鳥居から鬱蒼と木の生い茂る参道を進んで行くと、右手に日吉社、左手に伏見稲荷大社の分霊とされる日の丸大明神が祀られていました。日吉社の祠の前には、三輪山遥拝所が設けられています。
さらに参道を進んで行くと、右手に祓戸社、左手に祖霊社等々が祀られています。
広瀬神社拝殿。
拝殿の奥には春日造の本殿(県指定文化財)が鎮まります。
拝殿向かって左側におトイレがあり、そこから花見の場所へ誘導する案内板が立っていました。そのまま歩を進めると、小さな池の手前に水足(みずたる)明神の祠が見えて参ります。
崇神天皇9年の神託によって、一夜の内に沼が陸地に変わったと伝えられるアノ伝説の場所でしょうか。
「ここに棲む龍神の託宣」と案内されていますね。
沼が陸地に変わり、多くの橘の木が生えたことが天皇に伝わり、ここに社殿が建てられることになりました。広瀬神社の創建にまつわる水足大神(みずたるのおおかみ)といったところでしょうか。
広瀬神社の桜並木。
水足池から桜並木が続いていました。桜のシーズンになると、花見客の目を楽しませてくれることでしょう。
広瀬神社の参拝で、参道の脇に気になるものを発見致しました。
どうやら戦利兵器のようです。明治37年から38年まで続いた日露戦争の戦利品として展示されています。
「戦利兵器奉納ノ記」と記されていますね。
なぜこのような物が広瀬神社に展示されているのか、その理由は未だに分かりません。ちょうど広瀬神社参拝の前に、大和神社にも足を運んで来たのですが、大和神社境内で戦艦ヤマトの模型を見てきたばかりだったので、今日は戦争つながりだなと思った次第です。広瀬神社の細長い参道も、どこか大和神社のそれを彷彿とさせます。
広瀬神社の両部鳥居。
主柱を4本の稚児柱で支えています。
広瀬神社の手水舎。
広瀬神社の社記によれば、白鳳時代から永正年間まで、大和国六郡の刀祢らが集まってお田植え並びに水口祭が行われていたそうです。その後は一旦途絶えましたが、元禄年間に御田植神事が再興されて今日に至ります。
広瀬神社境内の橘。
向こうに見えているのが拝殿です。
橘の周りには数多くのおみくじが括り付けられています。
奈良県内に住んでいると、どうしても「飛鳥の橘」を思い出してしまうのですが、広瀬神社創建の引き金にもなっていることを改めて記しておきたいと思います。
砂かけ祭の写真ですね。
殿上行事の後、午後2時頃から行われる庭上行事は、砂の掛け合いで大いに盛り上がります。広瀬神社の砂かけ祭は、江包のお綱祭りや地黄の野神祭りにも通じる、大和を代表する祭事の一つです。
参道脇に砂が盛られていました。
私が広瀬神社を訪れたのは、砂かけ祭から10日余り後だったのですが、ひょっとするとこの砂は砂かけ祭で使われた砂なのでしょうか?
拝殿前の砂。
参拝客の足跡がしっかりと付くぐらいの砂場になっています。
拝殿の奥に本殿を望みます。
砂かけ祭の所持品としては、ゴーグルとレインコートをおすすめ致します。私はまだ未体験ですが、動画などで拝見していると、その激しさが伝わって参ります。くれぐれも怪我には注意してご参加ください(笑)
佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、寺川、布留川、葛城川、高田川などの大和盆地を流れる全ての川が一点に合流する地に鎮座する広瀬神社。その立地から、昔は交通の要衝としても栄えたであろうと思われます。
広瀬神社参拝案内
住所:奈良県北葛城郡河合町川合99
拝観料:無料
駐車場:一の鳥居手前と参道脇に数台(無料)
アクセス:西名阪法隆寺インターチェンジから東へ1㎞