横網町(よこあみちょう)公園にある東京都慰霊堂。
関東大震災や東京大空襲の犠牲者が祀られるメモリアルスポットとして知られます。
JR両国駅からも程近く、慰霊堂の周辺には旧安田庭園、両国国技館、江戸東京博物館などの観光名所が集まります。
東京都慰霊堂の礼拝堂。
第一ホテル両国に宿泊した日の朝、早朝散歩で訪れて参りました。ホテルから道を挟んですぐ北側に横網町公園があり、その中に悲しい歴史を今に伝える東京都慰霊堂が佇んでいました。
春と秋に営まれる慰霊大法要
普段は静かな東京都慰霊堂ですが、毎年春と秋の慰霊大法要の日にはたくさんの人が集います。
大法要の日にちは毎年決まっており、関東大震災が起こった9月1日と、東京大空襲に見舞われた3月10日とされます。大正12年(1923)9月1日に東京の大地を揺るがした関東大震災では、実に5万8千人の遭難者が出たと伝えられます。そしてさらに、昭和20年(1945)3月10日に襲い掛かった東京大空襲では、関東大震災をも上回る10万5千人もの犠牲者が出たと言います。東京都慰霊堂には、これら戦災の、合わせて16万3千体に及ぶ御遺骨が安置されているそうです。
東京都慰霊堂から、花で飾られたモニュメントを望みます。
それにしても居た堪れないほどの犠牲者の数ではないでしょうか。
戦争経験者の数は日に日に少なくなっていきます。戦争の歴史は語り継がなければなりません。世界でも唯一の被爆国である我が国日本の果たすべき役割は小さくないように思います。
遺骨を収納する三重塔。
東京都慰霊堂の構造ですが、手前が礼拝堂で、その奥に遺骨を納める三重塔が聳えています。この三重塔は外部からもよく見えており、東京都慰霊堂の所在地を示すランドマークのような建物です。
現に私も、この三重塔のお陰で東京都慰霊堂の存在を知ることになりました。JR両国駅から国技館の脇を通り、旧安田庭園とNTTドコモ墨田ビルの間の道を抜けてホテルへ帰る途中に、不思議な建物を発見致しました。ホテルの客室へ戻って確認してみると、すぐ傍に東京都慰霊堂のあることを知らされました。
慰霊大法要の模様ですが、ユーチューブでも案内されています。舛添要一前都知事も参列した平成26年度春季慰霊大法要がアップされていましたので、ここに引用させて頂きます。
横網町公園の平和祈念碑
平和ボケしてしまった現代人にとって、一度は訪れておきたい場所ですね。
広島の原爆ドームはその象徴ですが、東京都内でもこのような場所が残されているのです。
周辺には両国国技館、回向院、野見宿禰神社等々の相撲ゆかりの場所がたくさんあります。私はパッと見で「横綱(よこづな)町」と勘違いしていたのですが、どうやら「横網(よこあみ)町」が正しい町名のようです。横網町の地名の由来は何なのでしょうか?相撲の街だけに、”横綱町” と間違える人も多いものと思われます。
東京都慰霊堂のある場所は、横網町(よこあみちょう)公園ですので間違えないようにしましょう。
横網町公園の入口付近。
公園の南東方向にあったこの入口から園内へと足を踏み入れます。
花で彩られたモニュメント。
礼拝堂の向かって右手にありました。傾斜のある舞台設定になっていて、ちょっとした集会なども催されているのではないでしょうか。
「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。
東京都慰霊堂は当初、震災記念堂と呼ばれていました。
関東大震災の犠牲者の遺骨を納める霊堂として、当時の東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在の東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。その後、東京大空襲の犠牲者も合わせて弔うことになり、昭和26年9月に「東京都慰霊堂」と改称されるに至りました。
礼拝堂前の両側に、香炉台のようなものが見られました。
実に大きいですね。
その外側には狛犬が陣取ります。
どこか西洋風の狛犬を思わせます(笑)
震災記念館・東京都慰霊堂の由来記です。
東京都慰霊堂の歴史が詳細に記されていました。
東京は奈良に比べれば歴史が浅いわけですが、実際に東京に足を運んでみれば、実に様々な歴史観光スポットに出会うことができます。
東京都慰霊堂も間違いなくその内の一つですね。
関東大震災の折には、この場所に多くの被災者が集まって来たと伝えられます。
ここは災害時の避難場所だったのです。
あろうことか、そのことが災いして多数の犠牲者を生むことになります。猛威をふるった火の手は、容赦なくこの場所に襲い掛かりました。
お賽銭箱でしょうか。
丸の中に「震」の文字が確認できますね。
「震災記念堂」として建立された東京都慰霊堂の歴史が偲ばれます。
レンガ造りの東京都復興記念館
横網町公園を訪れたなら、公園の北東隅にある東京都復興記念館もおすすめです。
戦災の歴史が学べる資料館になっており、誰でも自由に無料見学ができます。
東京都復興記念館。
2020年の東京オリンピックを控え、益々注目が集まるTOKYOですが、その東京が辿って来た悲しい歴史を目の当たりにします。私が訪れた時間帯は生憎早朝だったため、中に入って展示品を見学することはできませんでした。館内には遭難者の遺品・被害品等々が展示されているそうです。
入館時間は午前9時から午後4時30分までとなっています。
東京都復興記念館の入館料は無料です。
館内1階には溶けたガラスビンや溶着した釘類の塊等、無残な姿の記念遺物が展示されています。2階へ上がれば、絵画や写真などで焦土と化した東京が写し出されます。
屋外の展示品もありました。
ボディが焼失し、その一部だけが残った自動車の跡でしょうか。生々しい展示品に、被災時の様子をうかがい知ることができます。
横網町公園には子供用遊具も備えられています。
時代を担う子供にこそ、地震や戦争の歴史は知っておいてもらいたいですからね。
扇形に広がるモニュメントを見ながら、東京の歴史を思います。
関東大震災では、浅草寺の五重塔や仁王門は無事に残ったそうです。しかしながら、そんな強運の五重塔や仁王門でさえも、東京空襲によって全て焼き尽くされることになります。外国人観光客にも人気の浅草寺ですが、そんな歴史を知る人はそう多くはないでしょう。
ここに遺骨が納められているのですね。
そう思うと、思わず手を合わせている私が居ました。
2011年3月11日に起こった東日本大震災。そこから数えて、もう既に5年半の歳月が流れています。天災は忘れた頃にやって来ると言います。全国各地で建物の耐震構造チェックも進んでいますが、自然災害はそれをも上回る想定外の規模で引き起こされます。
戦争は二度としてはならない。
改めて歴史に目を向ける時が必要です。
東京都慰霊堂は東京都民のみならず、日本全国の人が足を向けるべき場所だと思われます。
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