坂本龍馬を匿ったとされる材木商の『酢屋』。
龍馬通沿いに建つ酢屋は、坂本龍馬ゆかりの地の中でも建物の梁が当時のままに残されているなど、龍馬の息遣いを感じることのできる貴重な名所とされます。
酢屋と北山杉のコースター。
1階の創作木工芸「酢屋」において、材木商ならではの北山杉を使った木製コースターを購入しました。
材木商の北山杉コースター!歴史に息づく龍馬の足跡
北山杉コースターのお値段は税込420円。
年輪を刻んだコースターは、一つ一つに風合いも異なり選ぶのに少し時間が掛かります。酢屋見学記念として、満足のいく買い物でした!
酢屋の前にある「坂本龍馬寓居跡」の石碑。
醤油商の近江屋において暗殺されるまで、ここ酢屋に身を隠していた坂本龍馬。
幕末の志士達の熱い思いが伝わってくる場所です。
高瀬川の畔に地図が案内されていました。
三条通より一本南を東西に通る道が龍馬通です。
南北に伸びる木屋町通から西へ、高瀬川に架かる大黒橋を渡ると、程なく右手に酢屋が見えて参ります。
龍馬通。
高瀬川には何本もの短い橋が架けられています。
坂本龍馬海援隊屯所地であった酢屋に通じる大黒橋もその中の一つです。酢屋周辺には、豊臣秀次の墓所である瑞泉寺や先斗町歌舞練場などもあり、京都の歴史名所が密集しているエリアでもあります。
大黒橋から少し南側に「五之舟入址」と刻む石標が建っていました。
石標の真上を見ると、矢印が示され高瀬川を挟んだ西側を指していました。方角的にはちょうど酢屋の前辺りになります。江戸時代末期には船運に利用されていた高瀬川。川を利用して材木が運ばれていた跡がうかがえます。
幕末の時代、当時の6代目酢屋嘉兵衛は材木業を営む傍ら、角倉家より高瀬川の木材独占輸送権を得ていたそうです。
酢屋の二階部分を見てみると、向って左側に出格子が残されていることに気付きます。
現在は「ギャラリー龍馬」として坂本龍馬の資料館になっていますが、当時の面影を残す二階の出格子より、龍馬は向い側の舟入に向けてピストルの試し撃ちをしていたと伝えられます。
酢屋の家の者からは「才谷さん」と呼ばれ、その身を匿(かくま)われていた坂本龍馬。
1階のショップでは北山杉コースターの他にも、坂本龍馬の横顔がデザインされた木製のブックマーク(本の栞)や携帯ストラップが販売されています。
しおりを買おうかなとも思ったんですが、ブックマークにしては少し厚みが感じられたので、今回はより実用的なコースターを選択しました。
お店のレジに於いて、酢屋のシールが貼られた袋に商品を入れて頂きます。
通りの名前も坂本龍馬。
坂本龍馬を見降ろしていたであろう二階部分の梁、現在も10代目酢屋嘉兵衛として材木商を営んでおられる老舗の酢屋さん。ここは間違いなく、坂本龍馬を身近に感じることのできる龍馬ファンおすすめの場所です。
酢屋の玄関口。
龍馬部屋公開中と案内されていますね。
1階のショップは無料見学することができますが、2階のギャラリー入場料は500円となっています。館内の写真撮影は禁止ですので、観光客の皆様はどうぞご注意ください。
坂本龍馬が姉に宛てた手紙も拝見することができます。
暗殺された年の6月24日に、龍馬が酢屋に投宿している旨の姉宛ての手紙が公開されています。さすがに昔の人の字は読みづらく、解読不能ではありましたが、わずかに「すや」と平仮名で認(したた)められていた字はなんとか判読することができました。舟入の方に向けた机の前に座り、この手紙を書いたのかと想像すると、やはりぞくぞくするものを感じずにはいられませんでした。
高瀬川に架かる大黒橋。
ここから西へ少し歩を進めれば、坂本龍馬の寓居跡である酢屋へアクセスします。
近江屋における龍馬遭難の命日は11月15日。
その直後の天満屋事件も、酢屋の二階の一室に隊士が集まって端緒が開かれます。維新後に陸奥宗光は酢屋を訪れ、当時のことを思い、感慨にむせんだと伝えられます。
坂本龍馬の墓所として知られる京都霊山護国神社近くの霊山歴史館に比べれば、圧倒的に資料数が少ないとはいえ、生前の龍馬に肉迫するという意味においては、ここ酢屋の方に軍配が上がるのではないでしょうか。
酢屋の営業時間は、午前11時~午後7時30分(ギャラリー龍馬は午前11時~午後5時)。水曜日が定休日となっています。住所は京都市中京区河原町三条下ル一筋目(龍馬通)です。
京都へ旅行するなら、坂本龍馬が一時的に身を寄せた酢屋を見学されることをおすすめします。