2020年度の干支は子・ねずみです。
通常神社には狛犬が居ますが、大阪市浪速区の大国主神社には狛ネズミが居ます。狛鼠で思い出すのが、京都哲学の道近くの大豊神社です。今回の参拝で、大阪にも狛ねずみが居ることを初めて知りました。
大国主神社の狛ネズミ。
大国主神社の拝殿前に二体の鼠が陣取っていました。
向かって左側が打ち出の小槌、右側は米俵を手にしています。
古事記の逸話!オオクニヌシを助けた鼠
大国主と言えば、まずはウサギを思い出します。
因幡の白兎のお話ですね。オオクニヌシが兎を助けるストーリーですが、古事記にはネズミも登場します。
素戔嗚尊の娘であるスセリビメ(須勢理毘売)と恋に落ちたオオアナムジ(大穴牟遅命;オオクニヌシの青年期の名前)。そこで、父親であるスサノオはオオアナムジを試しに掛かります。果たしてこの男が娘婿に値する人物なのか否か、荒々しいスサノオに試されるとはオオアナムジもたまったものではありません。
微笑ましい大国さん。
大国主神社の近くには、民営の木津卸売市場があります。定期的に「木津の朝市」が開かれ、来場者は市場でセリ体験も出来ます。木津の大国さんと親しまれる大国主神社は、福々しい七福神に象徴されます。そんな笑顔が似合う大国さんにも、スサノオの試練を乗り越えてきた過去があったんですね。
今も昔も変わらない、娘を嫁にやりたくない父親。
オオアナムジを一目見たスサノオは、さっそく御殿に招き入れ、蛇が這いまわる岩屋に泊めました。そこで、スセリビメは愛するオオアナムジのために、蛇除けのショールを手渡します。ショールを3回振れば蛇を追い払うことが出来ると伝えます。その後もムカデと蜂の居る岩屋にも泊められましたが、ショールのお陰で難を逃れます。
それを見たスサノオは、鏑矢(かぶらや)を広い野原に射放ち、オオアナムジにその矢を取りに行かせました。オオアナムジが見えなくなると、野に火を放ったスサノオ。瞬く間に火に囲まれたオオアナムジは行き場を失い立ち尽くします。そこへ現れたのがネズミでした。
内はほらほら、外はすぶすぶ。
”内は空洞、外は窄(すぼ)まる” という意味の助言だったようです。ネズミの言葉を悟ったオオアナムジがその場の地面を踏むと、穴に落ちて事なきを得たそうです。そう、燃え盛る炎は穴の外を通り過ぎていったのです。さらにネズミは、肝心の鏑矢を咥えてオオアナムジの元まで運んでくれたと云います。
因幡の白兎とは逆のパターンですね。動物にオオクニヌシが助けられる場面が描かれています。
敷津松之宮(しきつまつのみや)。
素戔嗚尊と大国主命を祀る古社です。
大国主神社は敷津松之宮の摂社の位置付けです。
鳥居の向こうに見える拝殿は敷津松之宮で、大国主神社の拝殿は向かって左横にあります。つまり、境内に二つの拝殿・参道が交差しています。南北ライン上に祀られるのが敷津松之宮で、東西ライン上の先にあるのが大国主神社です。
敷津松之宮の拝殿。
敷津松之宮の由緒は神功皇后の御代に遡ります。
三韓征伐から凱旋帰国の神功皇后御一行でしたが、難波の海が荒れに荒れ、先へ進めなくなったと云います。そこへ住吉三神のお告げがあり、住吉大社を創建して航海安全を祈願しました。さらに住吉大社から北へ航行中、敷津の浜に差し掛かった所で、また海岸に激しい荒波が打ち寄せていたそうです。
武内宿禰はその海岸に三本の松を植え、松より上手に潮が満ちないよう祈願しました。その際、松の木の下にスサノオを祀ったのが「敷津松之宮」の創建と伝わります。
打ち出の小槌を抱える狛ねずみ。
ネズミの助言が無ければ、オオクニヌシはオオアナムジで終わっていたことでしょう。
大阪七福神めぐりの一社に名を連ねる大国主神社。
ここから徒歩圏内の今宮戎神社と併せて参拝されるといいでしょう。
正妻のスセリビメや鼠に助けられながら、オオクニヌシとなって国造りの端緒を開いていくことになったオオアナムジ。スサノオとのやり取りも含め、それまでのプロセスを感じさせてくれる神社です。
大国主神社は Osaka Metro 大国町駅が最寄りですが、近鉄難波駅からでも徒歩で向かうことができます。