奈良市高畑町北天満に鎮座する天神社。
人気の奈良観光ルートから外れた場所にひっそりと佇むお社をご案内致します。意外に思われるかもしれませんが、奈良ホテルや浮見堂からも割と近い場所にあります。少し高台になりますが、散策がてら足を伸ばしてみられることをおすすめします。
天神社の朱色鳥居。
天神社縁起によると、そもそも天神社には少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られていたようです。「手間神社」の呼び名で通っていましたが、平安時代になってから菅原道真が合祀されるようになりました。
御祭神二座は少彦名命と菅原道真
産業振興にご利益のある少彦名命と、学業成就の神と崇められる菅原道真が祀られます。
少彦名命といえば、大国主命と共に国造りに励んだ神様として知られます。医薬の神としても名高い少彦名命ですが、高畑町の高台にひっそりと祀られていました。
鳥居をくぐると、梅の御神紋がデザインされた蟇股が出迎えてくれます。
真ん中を通行出来るようにした御廊ですが、まるで石上神宮境内の出雲建雄神社割拝殿を思わせます。こういうのを馬道(めどう)と言うのでしょうか。朱色の映える美しい御廊の向こうには拝殿が垣間見えます。
天神社の御祭神を案内する立看板。
瑜伽神社から東へ歩いてきた所に立てられています。この辺りは奈良観光における裏通りとでも表現すればいいのでしょうか、道を行き交う人もまばらなエリアです。
天神社境内の南東隅に建つ石標。
周辺はかなりの傾斜地ですが、道沿いには民家が建ち並んでいます。
石標の傍に割と緩やかな石段が伸びていました。
どうやら先ほどの朱色の鳥居まで続いているようです。
狛犬が御廊の前に陣取ります。
昨今ではどこの神社にお参りしても、石段横には手摺りが取り付けられていますね。車椅子対応のエレベーターを設置する神社も見られるようになりましたが、もはや手摺りは当たり前の時代です。
天神社の由緒が案内されていました。
当神社の境内地を含むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった8世紀、平城の飛鳥とよばれた聖地でありました。
ここにまず祀られたのが国つ神の中心の1柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。
社伝によると平安時代の白河天皇の時であるということです。
その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に至りました。
天神社社務所
「平城の飛鳥(ならのあすか)」という言葉は、天神社の西方にある紅葉の名所・瑜伽神社でも耳にしたことがあります。
今から1,300年前、平城遷都で奈良にやって来た官人たちは、昔の都である飛鳥に望郷の念を抱いていたと云います。当時の元興寺周辺(現在の高畑町界隈)の雰囲気が飛鳥に似ていたそうです。奈良の地にありながら、飛鳥を彷彿とさせることから「平城の飛鳥」と呼ばれるようになったいきさつがあります。
当初祀られていた少彦名命には手間天神(てまのあまつかみ)という別名があり、一般には手間天神(てまてんじん)という名で親しまれていたようです。
「千年祭 天満宮」と刻まれていますね。
創建から千年目に当たる年にでも、何か大きな祭事が執り行われたのでしょうか。
天神社夏祭りの告知ビラ。
7月24日宵宮祭、7月25日本宮祭と案内されています。本宮祭の25日に、境内神楽殿において飛鳥小学校児童・作品展が予定されているようです。平城の飛鳥と言うだけあって、天神社の近くには飛鳥小学校という名の小学校があります。
鳥居から奥へ、真正面に出迎える拝殿。
天神社の拝殿は江戸時代中期の建立とされます。
桁行二間・梁行一間の向拝唐破風造の建物で、桧皮葺・瓦棟の設えです。屋根の格好が何とも言えず美しいですね。
拝殿前の狛犬。
円形の台座の上に立ち、邪悪なものの侵入を防いでいます。
拝殿には釣灯籠が掛かり、酒樽が奉納されていました。
その奥に垣間見えるのが本殿のようです。
菅原道真を祀る神社ですから、お約束のように神牛の姿も見られました。
足を畳んで上方を見上げています。
豊かな背中です(笑)
胴体だけを見れば、単なる岩にも見えてきます。血の通った生き物の背中とは思えないぐらい、実にどっしりとした寸胴スタイルですね。
境内の石灯籠にも梅の御紋が彫られていました。
平安時代の白河天皇の御代に祀られたという菅原道真。
奈良・菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まるに従い、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるようになります。それに倣ってか、この地にも相殿が建てられる運びとなりました。奈良市の菅原は喜光寺の所在地でもありますが、古代には菅草(すがくさ)の生える地域であったと伝えられます。別名を伏見(伏水)とも言い、湿地帯であったことがうかがえます。今も奈良市菅原町には、菅原天満宮が鎮座しています。
天神社境内社と絵馬
天神社には数多くの境内社、末社が祀られています。
それぞれに手厚く祀られる小さな社殿を見ると、この神社がいかに大切にされてきたかが分かるような気が致します。
御廊左手前に祀られる総霊社。
菅原道真は左遷された史実から「祟り神」にも名を連ねていますが、この総霊社にも早良親王、井上内親王などのいわゆる祟り神が手厚く祀られているのかもしれません。
榊が供えられています。
三つの扉のようなものが並んでいますが、三柱の神が祀られているのかもしれませんね。
鳥居をくぐってすぐ左手に祀られているのが総霊社です。
写真右手には、天神社の縁起が書かれた解説板が見えます。
こちらが本殿ですね。
一間社春日造・檜皮葺の建物です。
拝殿右に祀られる祓戸社(境内社)。
参詣の前に身を清める場所です。
本殿玉垣左に鎮座する浅間社(境内社)。
こぢんまりとした祠にはコノハナサクヤヒメが奉祀されています。
反対側の右手には、同じく境内社の秋葉神社が祀られています。
境内東方の鏡池近くに祀られる柿本社(末社)。
柿本人麻呂を祭神とする柿本神社ですね。
その他、末社としては住吉神社や稲荷神社も祀られています。
学業成就を祈願する絵馬。
イラストのモデルは菅原道真その人でしょうか。学の象徴である筆と、道真由来の梅の御紋が描かれます。
開運招福の干支絵馬。
それぞれの願い事をしたためて境内に奉納します。
天神社の境内は傾斜地になっています。
本殿のある場所から東へ緩やかに下って行くと、水を湛えた池がありました。池の周りには末社が祀られ、ここが境内であることを示しています。
こんな場所もありました。
傾斜地に芝生が敷かれ、ジャングルジムや滑り台が設置されています。
脇にはベンチも置かれ、近隣住民たちの憩いの場になっているようです。この芝生エリアも石の玉垣内にあることから、天神社の境内地になっているものと思われます。
急傾斜地崩壊危険区域の案内標。
ちょっと後ずさりしてしまいましたが(笑)、そんなに危険な場所なのですね。そんな場所に子供たちの遊具があることに驚きます。おそらく遊具の設置が先だったのだろうと思いますが・・・
傾斜地からもう一つある鳥居をくぐって外へ出ると、「喫茶UKIMIDO」の看板が目に入りました。
扉は閉まっていましたが、今も営業なさっているのでしょうか。木目の見える看板に味わいを感じながら引き返し、天神社近くに居を構える天理教天御津分教会から木立の中を下って行きます。すると程なく、奈良公園の風景写真でもおなじみの浮見堂へと出ます。
鷺池に浮かぶ浮見堂。
浮見堂では結婚式のロケーション撮影が行われていました。いつの季節に訪れても絵になる浮見堂です。プロのカメラマンたちが撮影ポイントとして選ぶのも分かるような気が致します。鷺池の周辺には奈良公園の鹿もウロウロしています。風景写真の一部として、鹿を被写体に入れてみても面白いでしょうね。
人気の観光スポットからも割と近い場所に佇む天神社。
謎のピラミッドとして知られる頭塔もすぐ近くにありますし、天神社は穴場巡りにはうってつけの神社ではないかと思われます。