「ならみんぱく」の愛称で親しまれる奈良県立民俗博物館を見学して参りました。
今回、私は橿考研博物館で購入した ”たびたびパスポート” を使って入館致しました。購入日より1年間有効で、県内4館の共通入館券として利用することができます。これさえ持っていれば、特別展示が行われる度に無料観覧が可能となります。
奈良県立民俗博物館。
大和郡山市西郊の矢田丘陵一角に、26.6 haの敷地を持つ大和民俗公園。広大な敷地面積を誇る大和民俗公園は、他に類を見ない特色を持った都市公園です。公園内には奈良県内の昔の民家が移築復原されており、実際に家の中に入って生活空間を体感することができます。菖蒲園や梅林も整備されていて、季節感も堪能できるようになっています。園内外周は約2.1㎞にも及び、ジョギングを楽しむ人の姿も見られました。
大和の稲作文化を学習
博物館や資料館を訪れた時、まず足を向けるのが特別展や企画展なのかもしれません。しかしながら、私が訪れたこの日は常設展のみの展示でした。
民俗博物館の常設展のタイトルは「大和のくらし」です。
奈良盆地の稲作、大和高原の茶業、吉野山地の林業などがそれぞれのコーナーにおいて紹介されています。1970年代頃の大幅な機械化が進む以前の作業風景と、その各工程で使われた用具が展示されていました。当時の衣食住にまつわる「昔のくらし」コーナーも必見で、へぇ~こんな物を使っていたのかと驚きの連続でした。
奈良盆地の稲作展示コーナー。
博物館入口のすぐ近くに、段ボール素材で作られた牛がディスプレイされていました。牛は稲作には欠かせない人間の相棒のような存在です。大和民俗公園の民家にも馬屋(まや)と呼ばれる牛の居住空間がありました。牛と寝食を共にしてきた昔の人々の暮らしが浮かび上がります。
大和民俗公園の無料駐車場に車を停め、正面入口から公園内に入ります。すぐ左手にある町家集落が視界に入りましたが、まずは正面の小高い場所にある博物館を目指します。
奈良県の人気マスコットキャラクター・せんとくんが玄関口でお出迎えです。
今回私は、奈良県立ミュージアムたびたびパスポートを持参していたので無料で入場しましたが、通常の観覧料は一般大人200円、大学生等150円となっています。小・中・高生は無料ですので、遠足や修学旅行にはうってつけではないでしょうか。さらに65歳以上は無料、障がい者と介助者1名は無料という特典も付いています。
博物館の玄関ホールは全面ガラス張りです。
開放的な造りですね。
玄関入ってすぐの所にある奈良県の立体地図。
こうして見ると、県南部を中心に深い山に囲まれていることが分かります。私が住む桜井市などの平野部・大和国中(やまとくんなか)は奈良県の北西部に位置しています。
奈良県内地域の通称が案内されていました。
昔の呼び方には新鮮な驚きがありますね。山深い吉野の入口に、今は吉野口という駅がありますが、昔の人たちはその辺りのことを口吉野と呼んでいたのですね。今の曽爾村や御杖村辺りは「奥」と呼び習わされていたようです。
牛の鼻木(はなぎ)。
稲作労働に大活躍した牛ですが、もちろんその牛を操るのは人間です。鼻木は牛を操縦するために欠かせない道具だったようです。
鼻木の解説パネル。
牛の鼻につけるもので、この鼻木につけた縄をひっぱったりすることで、牛をあやつっていた。
牛の鼻に通す環を鼻木と言うわけですが、鼻子(はなご)、鼻蔓(はなづら)、鼻ぐり等の別名もあったようです。自分の身体の一番先っぽにある鼻を引っ張られるのですから、牛にとってはたまったものではありません(笑) 言葉の成り立ちから言っても、鼻は端(はな)や花(はな)にも通じています。「初っ端(しょっぱな)」、「端(はな)から」等々の言葉にも「はな」の重要性がうかがえますよね。
牛に引かせる唐鋤(からすき)。
牛の背後に取り付けて、広く田畑を耕すために用いられました。
唐鋤を横から見ます。
カーブを描いた面白い形をしていますね。二十八宿の一つに唐鋤星(からすきぼし)という三つ星がありますが、その名前の由来にもなっています。
チョナワ(田植え縄)
田植えのときに、苗と苗の間隔をそろえて真っ直ぐ植えるため、この縄を田圃に張って定規のようにして使っていた。
等間隔に苗を植えていくのは至難の業ですが、その作業の手助けをした道具も展示されていました。
中耕除草機(ちゅうこうじょそうき)。
歯車が回転することにより草を土の中に埋め込み、除草と同時に田んぼを耕すための道具。腰を曲げずに作業ができるため、ずいぶん楽になった。
中耕除草機を使った作業風景も写真パネルで案内されています。農業機械化の前に使われていた数々の道具を見ると、当時の農民たちの試行錯誤が見え隠れしてきます。
道具の先っぽは半円形を描いています。
ちなみに、こうやって当時の農具を写真付きでご紹介していますが、入館時に写真撮影の許可を頂いていることをお断りしておきます。宿泊施設のブログ記事としてご案内させて頂くことも既に了承済みです。
牛馬に引かせた馬鍬(まんが)。
この馬鍬(まんが)は馬鍬(まぐわ)の訛り、つまり転訛した呼び名です。
土を砕いたり均(なら)したりする農具で、長さ約1mの横木に約20cmの鉄製の歯10本内外を植え、これに鳥居形の柄が付けられています。牛や馬のチカラを借りて、見る見るうちに田畑が耕されていった光景が目に浮かびます。
水車を踏む風景。
奈良盆地のあちこちで、このような風景が見られたようです。
水車の解説パネル。
人の力で、低いところにある水路の水を、高いところへあげる道具。水が不足しがちな奈良盆地では、水車を使用する風景がよく見られた。
奈良盆地は比較的雨の少ない地域です。
盆地内には環濠集落も数多く形成されていましたが、雨量の少ない地域故、軍事目的の他にも農業用水として利用されていたものと思われます。大和平野には今も、至る所に溜池が見られます。民俗博物館に展示される水車からも、奈良県民と水との深い付き合いがよく分かります。
こちらは唐箕(とうみ)ですね。
風のチカラで穀物の実と、秕(しいな)・籾殻(もみがら)を吹き分ける農具です。
秕(しいな)とは、空ばかりで中身の無い籾(もみ)のことを言います。必要なものと不要なものを選別する道具というわけですが、お米の国に生まれていながら唐箕のことを知らない人も多いのではないでしょうか。
唐箕の仕組みが解説されています。
漏斗状の受入口からお米を入れると、風力によって糠や埃が横から飛び出てくる仕掛けです。
唐箕の鼓胴の内部には、4枚の扇板から成る翼車が仕込まれています。
風力を生み出す翼車がどんな形をしているのか、残念ながら中までは確認できなかったのですが、ハンドルを回せばその動力が翼車に伝わる仕組みになっているようです。
風力を利用して玄米と籾殻などに分ける道具。取っ手を回すと唐箕(とうみ)の中で風が起こり、軽い籾殻等は風で飛ばされ、重たい玄米は下に落ちる。
現在の動力脱穀機にも唐箕が内蔵されていると言いますから、その機能性の高さがうかがえます。
林業の木材搬出方法
かつて奈良県の木材産業は活況を呈していました。
奈良県に住んでいれば、吉野山地の林業は今も様々な場面で語り草になっています。奈良県桜井市は吉野木材の集積場として栄えました。桜井市内を歩けば、今もその名残を感じることができます。
民俗博物館の林業コーナーには、山から木を運び出す際の様々な搬出方法が案内されていました。
木馬(きんま)出し(ソリで運ぶ)。
割り木をならべた木馬道の上に、ソリをすべらせ、木を山からおろす。
木馬は枕木と摩擦して火を発することがあるので、木馬師は前に吊るした筒の中の油を枕木に塗りつつ、舵を取っていく。なかなか重労働で、危険な作業といえよう。
大変なハードワークですね。
想像するに難くありません。おそらく木材搬出における木馬(きうま)が訛って、木馬(きんま)と発音されているのではないでしょうか。要するに木で馬を作ったわけです。昔の人々の移動や運搬に欠かせなかった馬ですが、傾斜のある山深い地でもその「馬」が意識されていたのでしょう。
枕木との摩擦で発火する恐れのある木馬出し。新潟地方では、短気な人のことを「きんま」と言うそうですが、危険な作業風景に由来する言葉なのかもしれません。
林業には必要不可欠のノコギリ。
様々な形状のノコギリが所狭しと展示されていました。
こちらは筏流しの様子ですね。
木で筏を組んで川に流します。山があればそこには川があります。川も重要な輸送経路であったことを学習します。
木馬出しに比べれば安全な運搬方法だったのかもしれませんが、相手は大自然に流れる川です。いつ何が起こるか分からない緊張感はあったものと思われます。
木馬出しですが、木のソリとは言ってもいつも順調に滑り降りるわけではありません。摩擦によって滑りが悪くなることも度々起こります。木馬道に油を塗って滑りを良くするわけですが、気が抜けない作業の連続であったに違いありません。
現在ではヘリコプターによる集材が一般的ですが、昔は木馬出し、筏、つり持ち出し、地車出し、しゅら出し等々の搬出方法があったようです。
昔の人の生活空間にタイムスリップ
奈良県立民俗博物館のおすすめポイントは、私たちの身近にあるものが展示されているという点です。
奈良国立博物館のように国宝・重文級の仏像に出会えるわけではありません。橿考研博物館のように考古学的に重要な発掘資料が展示されているわけでもありません。しかしながら、そんなものよりもより興味を覚えやすい展示品であふれています。
避難用の川舟が展示されていました。
川の氾濫に備えたものだったのでしょうか。
無形民俗文化財に指定される鍵の蛇巻きですね。
不思議な形をした蛇巻きですが、唐古鍵遺跡で知られる田原本町の鍵エリアに伝わる土着行事に登場するものです。連綿と受け継がれる民衆の諸行事には、奈良県の歴史そのものが詰まっています。
機織りの道具も展示されていました。
「昔の道具に触れてみよう」と書かれていますね。民俗博物館では実際に機織りを体験することもできるようです。博物館めぐりを退屈と感じる人も多いと思いますが、こういった体験プランが用意されていると嬉しいですよね。
飯畚(めしふご)。
今も炊飯器からお櫃(ひつ)に移すところまではやりますが、さすがにこの「めしふご」という道具はありませんよね。
竈(カマド)で炊いたご飯をお櫃に入れ、そのお櫃をさらに飯畚(めしふご)の中に入れます。めしふごは御飯を冷めないように保温する役目を担っていました。せっかく苦労して収穫したお米です。お米を大切に思う気持ちが、こういう用具を生み出したのかもしれません。
炭火アイロンと共に展示される火熨斗(ひのし)。
円い金属の器の中に炭火を入れ、その熱気を利用して、底を布に押し当てます。しわを伸ばす道具であり、今のアイロンと使用目的は同じです。かなり原始的なアイロンですから、失敗も多かったようです。火熨斗摺(ひのしずり)という言葉が残されていて、火熨斗をかけそこなって布をダメにすることを意味していました。ジュ~ッ!っていう感じですかね(笑)
氷冷蔵庫。
電気の無い時代の冷蔵庫です。
冷蔵庫の扉が開いた状態で展示されています。上下二段に分かれていて、上の段に氷の塊を入れる段取りです。そうすると、上段の冷気が下段に下がって下のものが冷やされるという仕組みです。
冷蔵庫の扉がかなり分厚いのが印象に残ります。
大正~昭和30年代まで使用されていた氷冷蔵庫。
上の段に氷のかたまりを入れて使う。氷は毎日氷屋で買っていた。
氷の補充のために、毎日氷塊の入れ替えが行われていたようですね。これはなかなか面倒なことです。思えば奈良には、氷室神社という氷の神様が祀られています。古代より氷の確保に心を砕いてきた人々の思いが伝わって参ります。
氷冷蔵庫を横から見ます。
各家庭に普及した電気冷蔵庫の時代を生きる私たち現代人。便利な世の中に生まれ、その有難味を感じることなく日々の生活を送っています。来し方行く末と申しますが、そんな時代の狭間の中で感じることは少なくありません。
奈良県立民俗博物館のビデオ学習室。
博物館の奥の方に、無料で楽しめるビデオ学習室が用意されていました。
祭り、芸能、伝承技術等々の映像資料約250番組の中から、好きな番組をチョイスしてビデオ鑑賞が楽しめます。大和には様々な伝統祭事が継承されていますが、実際にそういったイベントに足を向ける機会は少ないのが現状です。文献を読んだだけでは分からない、より具体的な情報をビデオ学習室で学べるようになっています。
奈良県立民俗博物館の写真撮影許可証。
受付窓口で頂いたこの許可証を首から下げて館内を回ります。
身体を使ったモノのはかり方
大和民俗公園の入口付近に「コーナー展はかる」と題するチラシが貼られていました。
”はかる道具と単位の秘密” という副題が付けられていて、どうやらモノのはかり方に関する特別コーナーが設けられているようでした。
生活を営む上において、モノをはかることはとても重要なことです。普段何気なく使っているものの単位についても、改めて気付かされることの多い必見コーナーでしたのでここにご案内申し上げます。
人の足跡に思わず立ち止まってしまいました(笑)
成人の約2歩分の長さ(1歩目を起点とし、2歩進んだ地点までの距離)。
距離や面積をはかる基準になりました。
歩(ぶ)という単位ですが、現代社会ではほとんど使われていない単位ですよね。昔の人はモノをはかると言っても、その基準になる物差しなど無い時代です。いつでもどこでも、一番手っ取り早く取り出せる秘密道具が自分の身体だったというわけですね。
”身の丈” の丈(じょう)ですね。
成人男性の身長を基準に定められた、人や物の長さ・高さをはかる単位。着物をつくる時の基準になりました。
昔の男性の平均身長も170cmほどだったのか、その身の丈が基準になった単位のようです。
両手を左右に広げた人の姿と共に、尋(ひろ)という単位が案内されています。
両手を左右に広げた時の、両手の指先と指先の間の長さ。縄などの長さや水深をはかる単位。
この尋ですが、その意味するところは広(ひろ)と同じです。
宮崎駿のアニメ映画に「千と千尋の神隠し」という題名がありますが、あの千尋(ちひろ)の ”尋” ですね。解説にも縄の長さや水深をはかる際の単位と書かれていますが、ちなみに一尋は5尺(1.515m)、または6尺(1.818m)とされます。
長い縄の前にしゃがみ込んだり、水の中に入って両手を左右に広げる昔の人の姿が目に浮かびます。水深をはかる時はもちろん、上体を横にくねらせ、片耳を水面に浸しながら測っていたのでしょう。
掴(つか)むの語源にもなったという単位の束(つか)。
手を握った時の、小指から人差し指までの幅。古くは稲の量や矢の長さをはかる単位でもありました。
指1本分の幅は「伏(ふせ)」と呼ばれていたことから、4伏=1束となります。「つかむ」という言葉の語源とも考えられています。
これは初耳でした。
4本の指で握ったほどの長さを束と言います。要するにじゃんけんのグーを出した時の握りこぶしを想像すれば分かります。大きい手の人もいれば小さい手の人もいます。一概には言えないものと思われますが、総じて単位を定める際には平均値が用いられたのでしょう。およそ8cmが1束とされました。
束の間の「束(つか)」も、時空の違いこそありますが、おそらくこの束に端を発しているのではないでしょうか。
八咫烏(やたがらす)の用字で知られる咫の単位。
親指と人差し指を直角に広げた時の指の先から指の先までの長さ。
箸は「一咫半(ひとあたはん)」がちょうど使いやすい長さであるとされてきました。
同様に、茶碗や皿も日本人の手の大きさに合わせて作られてきました。
食事の際に使う様々な道具が、この咫という単位を元に作られているのですね。環境問題を意識してか、マイ箸を出先に持参される方もお見受け致します。自分に合った箸であるか否か、今一度再確認してみるのもいいでしょうね。
現代でもよく耳にする尺という単位。
指を広げた時の、親指の先から中指の先までの長さ。成人女性の中指の先から手首までの長さに相当。
「尺」という字は、この手の形に由来するといわれています。
なるほど、解説の絵に目をやると「尺」という字にも見えてきます。個人差は若干あるでしょうけれども、人体のサイズにそれほど大きな差はありません。ちなみにこの特設コーナーの前には、自分の身体を計測するためのメジャーも用意されていました。自身と照らし合わせて、いにしえ人の深い知恵を感じてみるのもいいでしょう。
こちらは銭枡(ぜにます)ですね。
硬貨を数えるための枡。大きさごとに仕切りがつけられており、一目で金額がわかるようになっています。
収集地 磯城郡川西町
昔はこんな道具もあったんですね。目から鱗が落ちる瞬間です。両方の銭枡のマス目を確認してみると、どちらも縦に10個の枡目が並んでいることが分かります。切りのいい数字が使われていたものと思われます。
丸薬や粉薬をはかるための道具「薬(やく)さじ・漏斗・ピンセット」。
いや~、実に細かい丸穴が空いています。さぞ細かい作業だったのだろうと想像できます。
奈良県は高取町をはじめ、売薬の盛んな土地柄でした。今も当館大正楼には置き薬があり、定期的に薬会社の方が見回りに来られます。奈良県民と薬との歴史も垣間見ることができ、大変有意義な一日を過ごすことができました。
奈良県立民俗博物館は生活に密着した博物館です。
小難しいことはさておいて、まずは足を運んでみて下さい。興味の対象は千差万別でしょうけれども、自分のツボにはまる新たな発見が待ち受けていることでしょう。
<奈良県立民俗博物館>
- 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
- 観覧料 :大人200円 大学生等150円 小・中・高生・65歳以上は無料
- 休館日 :毎週月曜日(祝日、振替休日のときは次の平日) 年末年始(12/28~1/4)
- 交通案内:近鉄郡山駅下車 奈良交通バス1番乗場→矢田東山バス停→北へ徒歩10分
- 駐車場 :無料(乗用車147台、バス5台、身障者用3台) 利用時間は午前7時~午後6時30分(6月~9月は午後7時まで)