広陵町役場の南方に山王神社というお社があります。
そのお社の二の鳥居手前左横に収蔵庫があり、県指定文化財の石造伝弥勒菩薩座像が祀られています。地元南郷地区の人たちから「弥勒さん」と呼び親しまれる石仏です。
山王神社に伝わる石造伝弥勒菩薩座像。
肩幅の広いどっしりとした印象の弥勒仏です。弥勒菩薩と言えば、釈迦如来の次に如来になる御方です。遠い未来に如来になることが約束されている未来仏でもあります。奈良県内の弥勒石仏では、同じく「ミロクさん」と親しまれる明日香村の弥勒石のことを思い出します。お顔の表情がはっきりと読み取れない点などは共通していますね。
法界定印を結ぶ県下最古在銘石仏
奈良県内の観光には普段から興味を持っているのですが、私の中では広陵町エリアは穴場でした。
足を向ける機会の少ない広陵町であればこそ、新たな発見があると面白いものです。
重要文化財の百済寺三重塔を見学した後、百済寺から西にある広陵町役場へと向かいます。役場手前の文化財保存センターで広陵町観光のパンフレットに目を通していると、すぐ近くに山王神社という神社があることに気付かされます。しかも、そこには弥勒石仏がいらっしゃるというではありませんか。迷わず訪れてみることに致しました。
山王神社二の鳥居。
鳥居の形式は両部鳥居で、真正面に拝殿を見据えます。
二の鳥居手前に位置する収蔵庫(弥勒堂)。
二つの石灯籠の間が参道で、向こう右側に見えているのが駐車場のようです。参道の左横にがっちりとした造りの収蔵庫を一目見て、間違いなくここにお目当ての石造伝弥勒菩薩座像が安置されていることを察知します。
収蔵庫へ続く四角い飛び石。
どこかレッドカーペットのようで、緊張感が高まります。
石造伝弥勒菩薩座像の解説パネル。
「石造浮彫伝弥勒菩薩坐像」と案内されていますね。
頭上に宝冠をつけ、左肩から条帛を懸けて、腹前で法界定印を結ぶ姿が板状に薄肉彫りされている。像全体に風化がみられるが、左肩上方に永治2年(1142)の刻銘が認められ、優しい伏目の表情や温和で柔らかみのある肉どりなど、よく時代の特色を表している。平安時代の数少ない石仏の内でも県内最古の在銘石仏として貴重であり、昭和54年3月奈良県文化財の指定を受けた。
左肩上には、「永治二年四月九日 奉造立石像□□ 五人願主郡釈永 □四反畝□敬白」と刻銘されているようです。
県下最古の在銘石仏ということで、遠方から見学に訪れる人も多いそうです。仏像ファンの間では人気の石仏なんですね。
格子戸越しに石仏を拝みます。
安山岩を石板に調整し、像を浅く浮き彫りにする石仏です。
胎蔵界曼荼羅の中心に位置する大日如来と考えられているようです。平安時代後期に造られた仏像を前にすると、奈良の歴史の深さを改めて感じます。光背も含めた高さは125cmとのことで、そこそこのサイズを誇ります。
お腹の前で結ぶ印は法界定印です。
坐禅の時に結ぶ印相で知られますが、悟りの境地を象徴する印でもあります。胎蔵界大日如来と言えば、法界定印とほぼ相場は決まっているようです。円成寺の国宝大日如来坐像などは金剛界に属する仏様ですので法界定印ではなく、左の人差し指を右手で握る智拳印を結びます。
両手をお腹の前で合わせる禅定印には、心穏やかに落ち着いた印象があります。
石造伝弥勒菩薩座像は頭上に宝冠を載せ、天冠台下の髪をまばら彫りで表現しています。上半身は裸形で、条帛を左肩から右脇腹に懸けた格好をしています。観音菩薩のように煌びやかに着飾ってはいませんが、なだらかに流れる襷状の布(条帛)に柔らかなファッションセンスを感じます。
南郷山王神社への行き方
広陵町の観光スポットは、道が狭く入り組んでいることもあって見つけにくいことも多いのですが、山王神社は比較的簡単に辿り着くことができます。
目印はやはり広陵町役場ではないでしょうか。
山王神社の一の鳥居。
山王神社へのアクセスですが、広陵町役場前に「樹苑」という黒毛和牛専門店があります。そこの角を南へ向かうと、南郷環濠集落があります。奈良県内には数多く見られる環濠集落ですが、ここ広陵町にも昔の名残を見ることができます。環濠集落のエリアを少し歩いて西へ向かうと、山王神社の一の鳥居が出迎えてくれます。役場からも徒歩数分の距離です。
一の鳥居を抜けて二の鳥居までは少し距離があります。
真っ直ぐ伸びる参道の向こう左手に、石造伝弥勒菩薩座像の収蔵庫が見えています。
参道にあった広陵町のマンホール。
マンホールのデザインには地域性があって面白いですよね。
収蔵庫前から振り返って、今来た参道方向を望みます。
田圃と民家に囲まれた静かな場所です。
稚児柱のある両部鳥居。
本体の鳥居は朱色ですが、稚児鳥居の部分は黒く塗られていました。
山王神社拝殿。
両脇に狛犬が陣取り、その手前に百度石が見られます。
山王神社の由緒は詳しく分かっていません。神社北側に南郷最古の寺院とされる神福寺があるんですが、おそらく山王神社の神宮寺ではなかったかと推測されます。
境内の片隅にはブランコも備え付けられていました。
地域の人々に長きに渡って見守られている歴史が伺えます。小さい頃に遊んだ場所というのは記憶に残るものです。神社境内に遊具があるというのはとてもいいことだと思います。
百度石が二つありますね。
おそらくこの二つの百度石の間を行き来するのでしょう。数える算盤玉のようなものは見られませんでしたので、自分の頭の中で数えるしかありません(笑)
拝殿向かって左手前に中の島のある池がありました。
中の島へ向かってハス池橋が架けられています。
山王神社の主祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)で、その末社に祀られる神が市杵島姫命とされます。つまり、弁天さんですね。往時には弁才天社がこの場所に鎮座していたのではないでしょうか。
拝殿の左手奥に朱色の祠が祀られていました。
こちらが今の弁天さんでしょうか?
均整の取れた美しい拝殿です。
拝殿の奥、ブロック塀に囲まれた場所には本殿が控えています。
お顔に近付いてみます。
歴史の風雪に耐えてきたのか、はっきりと表情は読み取れません。
しかし、それがまた「本物」の風格を漂わせています。
最後になりましたが、山王神社周辺の地図をご案内しておきます。皆さんも是非、県下最古の在銘石仏にお参りしてみて下さい。