春日大社の内侍門近くに鎮まる多賀神社。
西回廊と北回廊の交わる北西隅に鎮座する神様です。延命長寿にご利益があるとされ、仕事の完遂をお導きになる神様として仰がれています。
春日大社の末社・多賀神社の社殿。
朱塗りの鳥居に朱塗りの祠、そして瑞垣にも魔を寄せ付けないであろう朱色が施されています。
1146年(久安2年)に近江の多賀大社より勧請された神様が祀られています。お守りの杓文字がオタマジャクシの由来にもなっているという、あの滋賀県有数の神社・お多賀さんですね。
「莚」の絵馬が示す御神託
通常参拝では多賀神社にお参りすることはありません。
20年に1度の式年造替に際し、御仮殿特別参拝のチケットを購入して春日大社の中心エリアを拝観致しました。多賀神社は本殿の西側に祀られており、その近くには宝庫、藤浪之屋、風宮神社などが鎮まります。
御祭神はイザナギノミコトで、伊邪那岐・伊邪那美が祀られる近江の多賀大社と重なります。
多賀神社の絵馬。
「莚」と記されていますね。ここで、この絵馬に関する逸話をご紹介しておきます。
時は鎌倉時代、東大寺中興の祖俊乗坊重源が80歳の時に遡ります・・・。重源は東大寺再建に際し、その成功を祈って伊勢神宮に詣でたそうです。17日間祈りを捧げたところ、天照大御神が示現したと伝えられます。
「祈願するなら、天照大御神の父神を祀る近江の多賀大社へ参拝せよ」との啓示を受けました。御言葉に沿って多賀大社へ赴き、額づいて祈りを捧げていると、神殿より一片の木の葉が舞い降りてきたと言います。よく見ると、その葉には虫食いで「莚」の字が浮き出ていました。
多賀神社の祠の周りには「延命長寿」と書かれた幡が連なります。
多くの人々から信奉を集める神様であることがうかがえます。
ところで、莚とはどういう意味なのでしょうか?
「莚」という漢字は音読みで「エン」、訓読みで「莚びる(のびる)」「莚る(はびこる)」「むしろ」と読みます。草が伸びてはびこる様を表しています。
木の葉の虫食い部分がなぜ「莚」という文字だったのか?そこには、多賀の神様のご神託が隠されていたのです。当時80歳だった重源が、さらに20年も寿命を延ばして再建事業を成功させるというお告げだったようです。
多賀神社の案内板。
御祭神は伊弉諾命(イザナギノミコト)。例祭は4月22日に執り行われているようです。
多賀神社の御神徳を抜粋させて頂きます。
生き物・生命の根源を司る神様で延命長寿の信仰が篤い。また東大寺の中興の祖重源上人は多賀様の御神助によって平家の焼き討ちによって焼失した大仏殿を復興できた故事により、仕事の完遂をお導きになる神様としても信仰されている。
今となっては、長寿大国日本はその名を世界に轟かせています。
しかしながら、鎌倉時代に当時80歳だった重源上人はもう既に十分長寿であったはずです。御年80歳から大事業を成し遂げるには、相当な知力と体力を要したものと思われます。その手助けをしたのが多賀の神様だったというわけですね。
回廊沿いに連なる釣灯籠。
ご存知のように東大寺大仏殿は、鎌倉時代と江戸時代にそれぞれ復興を遂げています。鎌倉時代の再建には、重源上人の長寿が深く関係していたようですね。様々な神様の助けを借りながら、古都奈良の歴史が紡がれていることを思います。
よく見ると、祠の上には藤棚が見られます。
春日大社の神紋にも描かれる藤は、春日大社とは切っても切れない関係にあります。おそらくゴールデンウイーク頃には多賀神社の藤も見頃を迎えるのでしょう。
黄金色の御幣が祀られています。
最後まで仕事をやり切る。途中で投げ出すことなく最後の最後までやり切る。これはとても大切なことですよね。
そのためには、もちろん長生きしなければなりません。短命では志半ばに終わってしまうことにもなりかねません。そんな誰しも抱く願いを叶えて下さる神様が、春日大社の境内には祀られています。
キーワードは「莚」ですね。
延命長寿を祈願して、多賀神社にお参りしてみてはいかがでしょうか。