橘寺の聖倉殿(しょうそうでん)特別公開に行って参りました。
聖倉殿(収蔵庫)の中に入るのは今回が初めてです。何でも初物は胸がときめくものです。聖倉殿の特別開扉は春と秋に1カ月間ずつ行われているようで、今回私は春の特別公開に足を運んで来ました。最大の見所はやはり、聖徳太子の師と伝わる日羅上人像の拝観に尽きるのではないでしょうか。
往生院前の庭に八重桜が開花します。
手前の建物が往生院で、奥に見えるのが橘寺の寺宝を収める聖倉殿です。境内の桜の見頃は概ね終わっていましたが、八重咲きの桜はまだ綺麗に咲いていました。橘寺西門前の左近の桜も既に散ってしまった後だったので、桜には少し遅かったかなとも思ったのですが思わぬ光景に心が躍ります。
重文の日羅立像や地蔵菩薩立像を安置する聖倉殿
聖倉殿には伝・日羅立像や地蔵菩薩立像の他、聖徳太子絵伝全8幅の内2幅、だ太鼓の縁、橘寺型石灯籠などが展示されていました。
二頭の龍が天へと昇って行く様子を表しただ太鼓の縁などは、動的な迫力に満ちていて一見の価値があります。春日若宮おん祭のだ太鼓はあまりにも有名ですが、橘寺の境内でだ太鼓が見られるとは思ってもみませんでした。
「巡る奈良 祈りの回廊 秘宝・秘仏特別開帳」の立看板。
橘寺は聖徳太子の生誕地と伝わります。当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があったそうです。橘寺は聖徳太子建立七寺の一つに数えられ、新西国三十三カ所第十番霊場にも指定されています。
立看板の左奥に目をやると、橘寺の堂宇が見えています。
橘寺の聖倉殿。
いつもは固く閉ざされている聖倉殿の入口ですが、今日は一般参拝客にも開放されています。聖倉殿と向き合うように建つのが往生院で、ちょうどこの日は絵画展が開かれていました。
伝・日羅立像の写真。
聖倉殿の中は写真撮影禁止です。
日羅立像は国の重要文化財に指定される貞観時代の仏像です。
日羅上人は日本仏教の礎を築いた聖徳太子の師と伝わる人物です。偉人の中の偉人と仰がれる聖徳太子ですが、そのまたさらに師となれば尋常ならぬ徳の高さが感じられます。
往生院で開催中の絵画展の中に、日羅立像を描いた絵がありました。
なんとも異国情緒を漂わせる風貌ですね。
左手は指をくるっと丸めた印を結んでいますが、両手先は後の時代に補修されているそうです。仏像造立当初の印相は不明とされます。存在感あふれる体躯で、針葉樹の堅木一材から彫り出された像高145cmの仏像です。
聖倉殿右前の庭には水仙も開花していました。
もうそろそろ終わりかけでしょうか、心なしか元気が感じられませんね。橘寺に咲く花といえば、一般的には芙蓉が有名です。芙蓉は秋に咲く花ですから、今の時期には見られません。特別拝観のこの日は、ハナミズキやシャガなどが元気いっぱいに咲いていました。
少し腰をひねっているような印象を受けますね。
流れる衣文が実に綺麗な仏像です。
日羅上人とは一体どのような人物だったのでしょうか?
日羅は「二位達率」という高い官位を与えられた倭系の百済官僚とされます。その位からも、百済王の信望を得ていたものと思われます。日羅上人の最期は暗殺によって終わっています。非業の死を遂げた高僧の姿を拝みながら、古代における百済と日本の深い関わりに想いを馳せます。
橘寺の西門。
西門には拝観受付があり、ここで拝観料の350円を納めて境内に足を踏み入れます。
二面石、往生院、聖倉殿がそれぞれ案内されていました。
西門を入るとすぐ左手には手水舎があり、右手に聖徳太子35歳の像を安置する本堂(太子殿)が控えます。西門から真っすぐ進んで行くと、行く手に写真の道標が立っており、その右手向こうに聖徳太子の愛馬・黒駒像が見えてきます。
往生院に展示される二面石の絵画。
善悪二相の顔を持つという巨石で、橘寺のシンボルにもなっている人気の石造物ですね。
境内の真ん中辺りにも、聖倉殿特別公開を案内する看板が立っていました。
正面に見えているのが本殿(太子殿)です。
本殿の奥には御本尊の聖徳太子像が祀られており、その御前に座って線香を上げることができます。橘寺拝観の肝になる所作だと思われますので、お参りの際には必ずご本尊の前に進み出ておきましょう。
ここにも道案内が付いていますね。
決して広くはない境内ですが、懇切丁寧に往生院と聖倉殿の場所が案内されています。
往生院の天井画と絵画展
橘寺のお参りの際には往生院へ立ち寄る人も多く見られます。
この日は絵画展が開かれていましたが、今週末には手作り祭が催されるようです。往生院に於いて午前9時から午後4時までの開催予定で、手作り作家たちの作品が持ち寄られて展示・即売会が開かれます。
往生院前の八重桜。
往生院での手作り祭は第2回目を数えるそうで、境内にはチラシが置かれていました。チラシの片隅には引換券が付いていて、土日の各日先着100名様限定で粗品が進呈されるようです。
往生院ではフリーマーケットのような催しも行われているんですね。
お寺の境内というと厳粛な空気を想像しますが、こういう庶民的な催しで人が集まるのはいいことです。京都東寺の弘法市はよく知られるところですが、人が集ってこそ何かが始まるというものです。
桜咲く橘寺境内。
橘寺の正式名称は上宮皇院菩提寺と言います。古い記録には「橘尼寺」の名が見られます。
天武天皇9年(680)に、橘寺の尼房十房が焼けたことが記されており、少なくともその頃までには成立していたことが分かります。当初は大変大きな寺域を誇る大寺院でしたが、今はこぢんまりとした境内に聖徳太子の威光を伝えています。
往生院の前に並べられた甕。
拝観当日のこの日は、赤松絵里子絵画教室一同による絵画展が開かれていました。
「和」の文字が躍ります。
和を以て貴しとなす、聖徳太子のお言葉を表しているのかもしれませんね。
往生院の天井画。
格式ある折り上げ天井に、色とりどりの花絵が描かれています。極楽浄土の華模様が天井いっぱいに広がっています!
こうやって見ていると、なんだか板チョコのコレクションと言うか、インスタグラムのラインナップと言うか・・・実に艶やかな光景を楽しむことが出来ます。
鴨居の上にはバッテンの結界が張られていますね。
往生院の奥には聖徳太子をはじめとする仏像が祀られており、その神聖な場所を意識した造りのようです。
よく見ると、隅の方にまだ華絵が描かれていない箇所がありますね。
3マス分残されています(笑) あの場所は、新たな奉納待ちの状態なのかもしれません。
境内の鐘楼横に残される、花形の柱穴を持つ塔心礎です。絵画展では橘寺の様々な表情を楽しむことができます。おそらく何度も境内に足を運んでおられるのでしょう、面白い視点に興味が喚起されます。
こちらは観音堂の如意輪観音坐像。
仏像の写真撮影は基本的にNGですので、こうした絵があると有難いですね。今見て来たばかりの仏像の余韻に浸ります。
往生院の天井画は寝転がって見る。
よく言われることですが、さすがに今日は絵画展の開催日です。寝転がって鑑賞するわけにもいかず、立ったまま天井を見上げます。
黒駒像ですね。
聖徳太子の愛馬ですが、実はこの黒駒は太子が助けた達磨大師の化身であるとも伝えられます。
王寺町の達磨寺に行けば、聖徳太子と達磨大師の関係が分かります。ご興味のある方は、是非一度雪丸で人気の達磨寺を訪れてみて下さい。
橘寺の万葉歌碑
聖倉殿の手前に、橘寺に伝わる万葉歌碑が建っていました。
明日香村には奈良県立万葉文化館や犬養万葉記念館があります。万葉の時代と深く結び付く場所だけに、橘寺を詠った歌もたくさん残されているのだろうと思ったのですが、意外なことに一首のみのが残されているとのことでした。
聖倉殿へと続く道。
収蔵庫の手前に石碑が建っているのが見えます。
橘寺境内の万葉歌碑。
率宿し(いねし)と刻まれていますが、眠ることを古代の人は「寝ぬ(いぬ)」と表現しました。
さらにそれに続く童女・・・童女を「うなゐ」と読ませていますが、小児の髪をうなじの所で結んだという「垂髪(うなゐ)」のことを表しています。童女放髪(うなゐはなり)で、成人前の年頃の少女を表現しています。
橘の 寺の長屋に わが率宿し 童女放髪は 髪あげつらむか (万葉集巻十六ー三八二二)
かつて橘寺の長屋でわたしが共寝をした少女は、いまはもう大人になっていることであろうと言って、人をなつかしく思い出す歌。万葉集において、この寺の歌はこの一首だけである。 飛鳥古京を守る会
かねてから待ち望んでいた聖倉殿の特別公開。
このたび、願いを叶えることができてとても良かったです。
飛鳥橘寺の魅力を、また一つ知ることができた一日でした。今年の聖倉殿特別公開期間はゴールデンウイークの5月5日までです。まだ中に入ったことのない方は、是非一度足を運んでみて下さい。
<橘寺の拝観案内>
- 住所 :奈良県高市郡明日香村橘532
- アクセス:近鉄飛鳥駅、または近鉄橿原神宮前駅から明日香周遊バス「岡橋本」または「川原」下車徒歩3分
- 拝観料 :大人350円 中高生300円 小学生150円